| 05/09 | 新議会 白装束 八方ふさがり | ||
| 05/07 | 産業振興氏 合併 | 05/08 | 離婚 (罪と罰 ツアラトストラはこう言った 幸田文) |
| 05/05 | コンチクショウ | 05/06 | 朔太郎 こりない敗戦 |
| 04/28 | 戦略・戦術? | 05/02 | 岐阜へ 幸田文 |
| 04/25 | エコー | 04/26 | 植樹祭 コウモリダコ クラオ族 |
| 04/22 | 通帳 掲示板 | 04/24 | 病気か? 選挙 |
| 04/20 | 編集余記 失業 『ひだご坊』 | 04/21 | 漁協 見舞いに 管直人氏 |
| 04/16 | 合併 見舞いに岐阜へ 苗代桜 | 04/18 | 政治のこと 合併 |
| 04/11 | 西フロリダ大学 都竹伸政展 | 04/13 | 祭り常会 |
| 04/08 | 「現在高」 | 04/10 | 御前山の山開き |
| 04/03 | 教職員着任式 県議ポスター うどん | 04/06 | 議会だより 名古屋 寿和会 |
| 03/31 | 妙覚寺 | 04/01 | 初老 |
| 03/28 | (地総債 活性化債) 念仏 | 03/29 | 『ニルスの不思議な旅』 |
| 03/26 | 直言 図書館 導水管 ADSLとデジカメ画像 イラク | 03/27 | 萩原町教職員離任式 合併 写真ファイル 病院 |
| 03/24 | 人事 | 03/25 | 萩小卒業式 合併 |
| 03/20 | ひまわり賞表彰式 大熊教授の講演メモ 定例会終了 懇親会 | 03/23 | 披露宴 消防団入団式 |
| 03/14 | 本庁舎の位置 | 03/19 | 疲労困憊 |
| 03/11 | 南中卒業式 | 03/12 | 冷え バッテリー 県議会 講演 |
| 03/09 | 大熊先生のお話し | 03/10 | 三月定例会 |
| 03/05 | 世間 | 03/06 | 子供を育てるとき「世間」のことをどう教えたか |
| 03/03 | 旧軍参謀の文が効くから不思議だ。 | 03/04 | 保養地委員会、合併委員会、 |
| 02/26 | 尾崎小学校生徒の議会見学感想文 総文・産建合同町内視察研修 |
03/01 | 「実学偏重の風潮を憂う」――経済 |
| 02/23 | 藤井孝男代議士 | 02/25 | 大分県湯布院町 熊本県小国町 小泉内閣メルマガ |
| 02/16 | 現代用語の基礎知識 鯉 アッツ島〈辰口信夫医師) | 02/18 | 請願 住民投票 |
| 02/10 | 稲盛さんの続き | 02/12 | 「議会だより」合併速報号。稲盛さん。堀栄三『大本営参謀の情報戦記情報なき国家の悲劇』 |
| 02/07 | 宮城県本吉町 コメヤさんのフレーム | 02/09 | 京セラ(株)の創立者・稲盛和夫氏のお話 |
| 02/05 | 第四回合併協議会 田口さん トヨタの利益一兆円超 |
02/06 | 総文委員会 合併委員会 「御嶽ぶなしめじ生産工業計画」 |
| 02/03 | 『地方議会人』 | 02/04 | 申告書 |
| 01/30 | 鬱とお喋りとアルコール | 02/01 | 帳面 老年 |
| 01/28 | 川へ。そして少しよそ行き気分。それから小沢征爾。 | 01/29 | 「日中、もう一つの文化交流――掃除」 |
| 01/24 | 古関(ふるせき)班との懇親会 | 01/27 | A市の職員の昇進 ヤフー碁 歩き 息切れ |
| 01/21 | 角栄の遺伝子と真紀子 | 01/23 | 合併市の名称 |
| 01/13 | コモル ヤフー碁 お宮 『面白すぎる日記たち』 | 01/19 | 宴会二つ 猪(いのしし)鍋 問題は指導層にあり |
| 01/11 | 吉本 bbs書き込み | 01/12 | 立花隆・田中角栄・真紀子 俳句 |
| 01/09 | デジカメ故障 | 01/10 | どんど 合併協 スタッドレス 角栄と役人 デジカメ 詩 |
| 01/07 |
A市 市会議員のサイト |
01/08 | 新年互礼会 山形印刷(株) |
| 01/04 | 出初式 孫 田中角栄 | 01/06 |
寒い。サイト転送の不調 |
| H15/ 01/02 |
雪のない正月 日本教 成人式 | 01/03 | 萩原町民のくらしデータ |
平成15年1月2日 木曜日 雪のない正月 日本教
皆様、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
ちょうど今、三日になりました。部屋は静か。いままでは、ここに孫(一歳半)がいて、僕はうろうろしていたんですが、彼は寝るために母親と二階に上がりました。
この孫というもの、不思議な存在で、わがまま不良初老が、じっと我慢して、遠くから、孫とそれを取り巻く風景を見ている。我が家は最小の家族ですが、いまここではすべてが孫を中心にして回っているのが不思議ですねえー。こういうもんですか。孫一人が自由勝手ほうだいで、好きなように振舞っている。これが日本流の子育てかな。でも、遠くから、やんわりと、しつけていく。
その原理は、大人の世界でも同じで、便利な言葉を借りて言うと、イザヤベンダサン氏(いざや、便出さん)による「日本教」。
日本教には、聖書やコーランのごとき成文はない。けれども、日本教はある。日本があることが、日本教の証明。はなはだあいまいであるが、その存在そのものは確実であります。そういう独特な国であります。そこから、日本を見ていこう。厄介な国。自分でも始末がつけにくい国。けれども、何事かを確実に持っている国。実現している国。
日本では、キリスト教徒も仏教徒も、その他諸々も日本教徒となる。日本教徒カトリック派、日本教徒プロテスタント何々派、日本教徒禅宗派、日本教徒創価学会派等々。左翼も右翼もヤクザも日本教徒である。
日本教徒は、内治は得意であるが、対外関係となると、からっきしダメだ。伝統である。小泉総理は、北朝鮮外交に独自色を出した。今次大戦後では初めてじゃないかな。おずおずしていて、正解である。ガラに合わない事をやっては失敗する。恐る恐るでよろしい。
日本教徒日本は、アメリカ傘下で、うまくやってきた。その中で、左翼も右翼も上手に甘えあってきた。いよいよ、甘えてばかりおれなくなった。船出しなくてはならない。
注意すべきは、その甘い体質をしっかり、リアルに見つめることだ。ノボセルとあれよあれよで、止まらなくなる。指導層は心せよ。この稀有な国日本を、泥の中に引き込んではいけない。田中角栄以後の自民党は、戦前の軍部のように、日本を、ごみための中へ平気でぶち込んでいる。過ちを知って直さなければ、また同じ事が起きる。繰り返す。
1月4日 土曜日 出初式 孫 田中角栄
インフォシークの天気予報で(郵便番号で検索する)、萩原町を見る。明朝はマイナス五度。小雪。
明日の消防団出初式は予定通りだ。郵便局前へ十時集合。防災隊は、若竹屋前へ。防災隊員でもあるが、議員のほうを優先させ、こちらに出る。去年は積雪で、行進が中止となり、朝霧体育館へ。これに出た。この寒さは強烈だった。体育館の中は冷蔵庫のよう。椅子に座る。じっとしている。これほど寒いとは予定していなかったので、この日以後、体調が少しおかしくなった。痔など。一時間ほどの我慢だが、着こんで行かなかったので、こたえた。
孫たちが昨日帰った。一歳半の彼が三十一日から三日間主人公。取り巻く大人四人のうちでは、私がいちばん困った。孫が親分で、自分は子分にさせられてしまった。予期していない事態。けれども、神妙に務めたよ。孫が来たからには、自分は祖父になる。祖父役が加わった。
大人四人は、孫という新しい事態を、手探りしていく。お互いの距離を測りながらそれぞれの役を務める。血縁と他人が交じり合っている家族。だから、この集合はある種の政治でもある。その中心に自分がいる。いなければならない。でないと、家族ができていかない。
立花隆著『「田中真紀子」研究』を再読開始。この本の主役は、真紀子ではなく、父角栄だ。田中角栄と政治だ。
著者は、原理を主張しいるわけではない。清潔の側に組しているわけではない。ノンフィクション作家として、リアルに、しかし、読んで面白いようにつくりあげている。文もいい。含みと厚みがある。
自分ごとき最小の政治家初歩には、ためになる、勉強になる。田中角栄政治から日本を見る。自分には、新しい視点。
この本のもうひとついい点は、現状日本の政治経済社会状況を、角栄政治の負の遺産処理に苦しんでいるとして見ていることである。解決策の処方をして見せているわけではない。それは、簡単には行かない。十年ももたもたしている。けれども、それが現状日本だ。これをリアルに、まず見ることなしでは始まらない。リアルに見よ、そして考えよ、と言っている。
1月6日 月曜日 寒い。サイト転送の不調
いま、明けて七日。夜中の一時。寒い。インフォシークの天気予報で萩原を見ると、この時刻マイナス五度。
一日、こもりきりで、手足が硬くなってきたので、さっき三十分ほど歩く。道路には残雪が凍って、歩くとバリバリする。風がないので、寒く感じない。ストーブを焚いているけれども、室温は八度。けれども、厚着と慣れで、そう感じない。
パソコンは機械なので、いったん不調になれば、原因を探し出して対処しなければならない。原稿作りと機械技師を一人で兼ねなくてはならない。機械がおかしくては、前に進めない。
hoopsサイトのファイルを、直しても、サイト転送が感知してくれない。感知しなければ、転送できない。やむなく、FFFTPで送る。ちゃんと更新される。がビルダーソフトのサイト転送が利かない。どうしてかわからない。なんどやっても、更新を感知しない。
そこで、サイトの一覧表示を開いてみる。すると、旧hoopsが、七百キロと出る。おかしい。このサイトは、二十メガほどもあるのに。いろいろやってみるが解らない。
結局、思い込みが、よくなかった。リンクはうまくやれていると思いこんでいる。だが、原因はリンクにあった。で、もう一度、リンクをやり直してみると、なおった。
思い込んで、これで良しとしなければ、毎日が成り立たない。宙ぶらりんでは、進めない。だから、とにかく決めてかかる。
これが、組織の中で起きた場合、とくに、頭におるものが、思い込みにはまり込んでいると、その組織体は、あるいは、壊滅状態になるかも知れぬ。というわけで、頭におるものほど、熟慮と決断は必須となる。
1月7日 火曜日 A市 市会議員のサイト
一日、ぼんやりしてすごす。馬力が出ない。それでも、少し、『「田中真紀子」研究』を読む。集中力が数ページしか続かない。で、ぼんやり横になっている。寒さのせいかも知れない。体が寒さに応対するだけで精一杯なのかも知れない。
パソコンで気を紛らわせてみる。集中力が続かないが、インターネットなら雑に見ていていいので。
思いついて、関東はA市のAさんの名前を入力して検索してみると、一つだけあった。これが、奇妙な画面なのだ。委員会の議事録。Aさんは、この市の企画課長になっており、答弁をしている。これが、なかなか内容までは理解できるものではないが、雰囲気は伝わってくる。何々云々の不規則発言あり、などとある。つまり、野次に近いものまで、議事録が筆記しているということ。
Aさんは、二十年来の我がアユ釣り客である。
この議事録には、出口がない。どこへも行けない。だから、不思議なページなのだ。そこで、このアドレスの最後の部分を消して、エンターを押してみる。すると出た。これは、市会議員B氏のページの一部だったわけ。ここを出発として、さぐっていくと、A市の議会等のあらましがわかってきた。去年の六月に選挙があった。その結果を載せている議員のサイトがあり、興味をそそられた。
市会議員は、総勢三十一名。その内訳は、自民が十一名、公明が七名、共産六名、民主?が四名、社民が一名、市民クラブ・市民の党・生活者ネットワーク、が各一名ずつ。
このうち、ホームページを出している者は、六名。
自民が四名、公明一人、市民系一人。共産には、個人ページはない。そういう方針なのだろう。自民は四名で、これは、何事かを表している。なお民主は一つあったが、この選挙で、息子と交代したようだ。しかし、受け継いだ息子は、ページには関心が薄いのかもしれない。あるいは、おやじは、古参であるが、ホームページについては、古参ではなかったということか。
この六つのサイトは、どれも、議員のものである。そういう出来になっている。これと比べると、我がサイト(ホームページのこと)は、だいぶ、通常からはずれている。政治サイトではないから。
なぜこうなっているかというと、もともと、サイトがあって、あとで、議員生活が始まったからである。議員生活があってサイトが始まったのではないということ。つまり、当初の方針を変えていないということ。今後も変える予定はないということ。
1月8日 水 新年互礼会 山形印刷(株)
五時半から星雲会館で。参加者、百六十名。各テーブル十人として、十六テーブル。この会で、新年の挨拶を済ませてしまおうという趣旨。久しぶりで会う人など、いろいろで、結構な会だ。会費三千円。
演壇挨拶者の中で新鮮だったのは、山形印刷は取締役工場長の平林次男さんのお話。以下にそのあらまし紹介。
平成十三年四月稼動開始。当初の従業員三十人。平成十四年十二月には九十人に。現在の月商は七千万円。将来の従業員数は百四十人を目標にしている。明後日に、ドイツから、二億円の機械が入る。
仕事内容は、製品の取扱説明書の作成。主な契約相手は、ソニー、ホンダ、キャノン。
工場は、海外七ヶ所にある。マレーシア、タイ、むしゃく等。海外へ仕事を持って行くばかりではなく、海外の仕事をこちらでもやる態勢に。
商工会には入る。地域の活性化に尽くす。
なお、ここの仕事は、地域の同業者とは競合しない。邪魔はしない。
1月9日 水 デジカメ故障
カメラが故障している。もう一台の古いほうを使っているが、レンズが明るくないし、広角が利かないので使い勝手が悪い。これは、二百万画素、38-76mm、F3.5-4.8、プログラムだけ。値段は五万円ほど。去年買っていま故障しているのは、三百万画素、32-96mm、F2.8 all、プログラム以外に絞り優先等が出来る。贅沢な出来で、値段ははじめのより安い。だから、きゃしゃなのかも知れぬ。はじめの、ニコンのごついプログラムオンリー機は、故障しそうにない。ごついけれども、かんじんなところはしっかりしている。さすがニコンか。
カメラの情報を得るために、朝方本屋へ行った。そのうちの雑誌一冊を買った。四、五百万画素のコンパクト機でも、十万円以内で買えるようになっている。
その雑誌の中身に驚いた。CDが付録としてついている。これをパソコンに入れて見てみると、なんと、自分で画像テストができるじゃないか。従来の通常カメラでは、写り具合のテストなど専門家しか出来なかった。ところが、デジカメでは、このCDに画像として納められているように、テスト画像を機種ごとに調べながらすぐ見ることができる。たちどころに比較ができる。一機種につき、五種類の写真がある。それぞれ同じ条件で撮ったものだ。
これは大変なことだ。読者、使用者が、その画像をじかに見て検討できる。これで解ることは、本で、この機種は、高いけれどもいいとしてあったものは、なるほど、いい画像だ。高いだけのことはある。
となると、僕なんかは、すぐ穴はないかと探したくなる。あった。キャノンの二百万画素で三万円ぐらいで買えるものだが、その画像が立派だ。大変な進歩だ。キャノンのこの機種は、地味だが、値段からして、格段に優秀だ。キャノンの戦略品だな。全体にキャノンと、オリンパスが強いようだ。
コニカとミノルタが合併するらしい。ペンタックスも、この分野では出遅れている。危ないんじゃないかな。
午後一時から四時まで広報委員会。第一回めの議会報編集。
終ってからすぐ高山へ。国道には雪はないが、市内の街路はすでに凍っていた。四駆だから何とか持ったが、スタッドレスがいる。帰り、どうにも眠くなったので、渚のあたりで仮眠する。うちに着いたのが八時。用件は故障。
1月10日 金曜日 どんど 合併協 スタッドレス 角栄と役人 デジカメ 詩
十時から、県庁舎で合併協議会。途中、諏訪神社へ寄り、左義長(どんど)用のお札等を置いていく。そこで、同じ目的のユタカ氏とすれ違う。
会場の傍聴者は七人で少ない。時間が二時から十時に変わったためか。
いったん十二時に休憩となったので、イワキへいく。鍋焼きうどんを食べる。千円。同行の嘉春さんも。午後の部には出なかった。
出てから、農協へより、千キロのオイル交換をする。すると、整備員が、ノーマルだなーと言ってくる。で、スタッドレスにかえる。ホイルつきで、しめて三万二千円也。オイル代は払えたが、これはツケ。
いったん帰ってから、図書館へ返却本を持っていく。本棚の裏側に、黒色のパソコンがあり、三十分は自由に使ってよろしいと張り紙がしてある。開いてみる。デルコンピューターだ。このメーカーは初めてだ。アメリカ製か。すでにインーターネットに接続してあり、スイッチを押すと画面が出た。ヤフー囲碁の画面を出そうとしてみたが、なかなかでなかったので、そのまま帰る。
帰ってカミさんに、スタッドレスに交換したというと、どこかへ、夕食に出かけたいというので、しぶしぶウンと言う。タイアを整理して、角栄の続きを少し読む。立花氏の文は迫力いっぱい。引き込まれる……(巧みに官僚を支配するメリット)(角栄こそが官僚に近い政治家だった)(役人操縦術の家元)。
百一ページめ「要はあらゆる意味で役人を感服させることが必要なんです。サービス面だけではなく、政策面でもそうです。役人と十分な議論ができるレベルまで、事情に通暁する必要があります。そのため、角栄は、役人が上げてくるペーパー(それははんぱな量ではなかったといいます)を、毎晩、午前二時、三時に起きだして(毎日夕食後は早々に寝てしまった)、必ず全部読んだといいます。」
出かける前に少しと横になったら、眠りこけてしまった。カミさんが呼んだので、時刻を見ると、十時半。で、食事もせずにそのまま起きている。いま深夜になっている。
オリンパスのサポートセンターにメールして、故障等に付いて聞いてみた。
例のデモ画像のあるCDを見る。ナショナルの、LUMIX DMC-FZ1がすばらしい。ライカとの共同作品。二百万画素だが、35mm〜420mmで、凄い超望遠だ。手ぶれ防止機能がついている。画像も、機能からしてまあまあだ。さて実売価格を調べてみると、六万円する。高いのか、安いのか。安いのだろうな。望遠用に、これは欲しいなあ。しかも、三十五ミリからになっており、明るさは、通しのF2.8。パソコン用だから、二百万画素でいい。ウーン手に入れたい。
インフォシークの、推薦ページを開いてみたら、二十代前半の工事中のものがあり、なかなか、いい感覚が知られる。その中の、詩がよかったので、つい、bbsに、おじさんですみませんと断って書き込みした。
1月11日 土 吉本 bbs書き込み
土曜日の楽しみは、お昼の吉本喜劇だ。テレビの愉しみストレス発散は、これくらいしかないんじゃないかな。つい笑わされてしまうので愉快だ。あんまり一人笑いしているので、カミさんが、大丈夫かという目つきでガラリ戸を開ける。と、まじめくさくする。なーんだと引き込むと、すぐまた大笑いする。こうもゲラ笑いするのも、老体のせいか。
きのう、何年ぶりかで、bbsに書き込む。いま開いてみたら、両方ともに反応があった。まず詩のほう。rarakoさんなるこは喜んでいましたねえ。彼女の詩への、初めての反応だそうだ。一読好感を持ったので、感想を送ったのであるが、どうも、説教調が気になる。以前は、おずおずと批評等したものだったが。
いまの子達は、ホンワリ環境の中で、育っているようだ。だから、無垢のような感性が出ている。けれども、この無垢も、世間の中で、もまれていかなくてはならない。無垢のぶん、反応が繊細になるのかな。クジラのお腹を思い出す。そこにとどまっていたいのだけれど、いつかは出なくてはならない。どうせ出るなら、おおきくおおらかに出たいものだな。そうして、日常というルーティンを受けとめて生きていく。
もう一人は、傍嶋さんというパソコン関係のライターのページ。この人のことは、はじめのころ書いている。三年前、初めて買ったホームページ作成本が、この人が書いたもので、その縁で、数回読者の「広場」へ書きこみをした。右も左もわからなくて、困惑、無我夢中だったなあと思い出す。
彼女は三十五、六になるんじゃないかな。名古屋から東京へ出て、がんばりぬいて成功した。なかなか一般ではないがんばり人生。彼女は、去年、この関係の社長になった。で、いろいろと大変なんだろうな。自身の日記は、その愚痴に特徴がある。僕は、そこが面白くて、たまに見て様子を窺がっておった。すると、今回、妙に弱気なので書き込みした。文は、強気一点張りのときより、少し陰があったほうが面白い。文は、人生の成功と平行しないんだな。
昼、桂川さんがひょっこり来て、ヤホー等をもってきて見せた。一読、こりゃまずいかもと思うところが、二ヶ所ほどあったので、すぐコメントした。しかし、もう印刷へ回っているので、直せない。
1月12日 (日) 立花隆・田中親子 俳句
立花隆著の『「田中真紀子」研究』を再読している。強烈な筆力だ。自分のように、趣味ふうに本と付き合ってきた者には、非常に抵抗がある。主人公は田中角栄。自分とは、歩いてきた道が違う人なので、抵抗がある。けれども、これは、現実の政治であるので、仕事として本に向かっている。著者の筆力に引っ張られていく。巻き込まれていく。
口利き政治を堂々やってのけた人である。金儲け政治を堂々やってきた人である。根っからの、金銭欲・事業欲の人であり、政治カというよりも、政治ヤであった。その世界に、えんえんと付き合わされるので、気分がざらつく。
だから、俳句を読んでみたりしている。山本健吉著『俳句鑑賞歳時記』。両者の世界の違いがが際立っている。俳句など、関心を持ったことはなかったが、角栄政治と真紀子の描写に付き合っているので、かえって、この世界が生き生きしてくる。
立花氏は、並みのライターではないようだ。もとは文学青年だったようだが、文藝春秋へ入社後に、ノンフィクションに入った。執念と決意が文から立ち上ってきて、我らを打つ。決意をもって、きらびやかな世界を拒否する。理想的なものを拒否する。ちょうど、司馬遼太郎とは対峙する関係になるだろうか。司馬は、夢を語らずにはおられなかった。立花は、現実そのものへと、あえて入っていく。僕などは、言葉で、いい世界をつくりたがる傾向の者なので、かえってこの本はためになる。また、左翼も右翼も、そしてインテリも、この国では、言葉で世界をつくりたがる傾向があるので、彼はその弱点を突き、暗に批判している。
現実を暴く人よりも、夢を語る人のほうが優勢なのが日本文化だな。左翼人や文化人たちが、我こそ日本の現実を語っているのだと威勢はいいが、その実態は、現実夢想家なのである。
1月13日 月 コモル ヤフー碁 お宮 『面白すぎる日記たち』
切迫感で、落ちかつかないし疲れる。原因は懸案に違いない。漁協のこと、小宴会のこと、税金帳面。その他会合。なかなか終らせてくれない立花・角栄・真紀子。さらに新しい一冊。正月前後からこもりっきりだ。
天気はいい。暖かい。せっかくのスタッドレスの出番がない。これだけに限れば雪が欲しい。だが、屋根が壊れかかっているので心配。
こもっりきりで精がでると思われるかも知れぬが、その実は、なんとなくぼんやりしている時間が多い。ぼんやりがいやになり、かといって集中力を欠くときは、ヤフーのネット碁をする。これだって、疲れがひどいときは向かえないが、少々なら、クリックして石を置き始めると、結構しゃんとしてくる。勝率も悪くない。だから、やりたくなるのである。もし、いやにやられるのなら、ネット碁盤を開かないはず。石の進行に満足するものがあるので、快なのだ。快には近づきたいとしたもの。不快なら逆。昔から、生き物は同じ傾向。
午後、あまりに家にばかりいるので、足腰頭の調子を整えようと、お宮へ(諏訪神社のこと)カメラを持って出かける。風がなく暖かい感じ。でも、雪は残っている。ひとわたり歩く。妙覚寺の裏にあたるところが、ばっさり切られているのには驚く。寺はこの崖下にあるので危ないからかな。全般に、木々は間引かれている。これも危険のためか。以前は、鬱蒼(うっそう)とした感じがあったが。
拝殿を真中に通して、本殿を撮ろうとしていたら、女性がお参りをはじめた。様子から、儀礼的なものではない。願い事をしにきた様子。帰り、ちらりすれ違って、何気なくちらり見たら、そんな様子。
去年の二月に買って、そのまま棚の下になっていた本を、探し物をしていて見つけて、ちょっと読み始めると、これが重いけれども惹かれるんだな。鴨下信一著『面白すぎる日記たちーー逆説的日本語読本』。
まず最初に出てくるのは、藤原師輔(908-60)、アンディ・ウォーホル(アメリカのポップアーティスト 1928-1987)、原田熊雄(西園寺公望の私設秘書・政界裏面史 1888-1946)、古川ロッパ(コメディアン 1903-61)、入江相政(すけまさ 昭和天皇侍従 1905-85)の日記たち。
日本人は、古来日記を書くのが好きらしい。平安貴族には、記すのが義務のようであったらしい。で、しょっぱながその一つ藤原師輔のものから。その中にこうあったのでびっくり、
「朝起きると……ついで、鏡をとり自分の顔を見よと。顔には凶事があれば、その兆しがあらわれるものであるから、それを探る。そしてつぎに暦を見る。ついで楊枝(ようじ)をつかい歯を磨き、口をすすぎ、西に向かって手を洗う。」
ここのどの部分にびっくりかというと、洗面のことだ。だから愚生のごときは、日本人失格である。洗面は、礼儀であり、たしなみであり、常識である。それを欠く者は失格があたりまえ。ここで日本教が作用してきて、許さんと暗示してくる。暗黙の排他をやってくる。仲間はずれを。ああこわや。
真紀子氏についてコメントするつもりだったが、長くなったので、このつぎに。
1月19日 日 宴会二つ 猪鍋 問題は指導層にあり
宴会二つにでる。一つは、午前十時から、漁協支部役員会。支部総会に向けての打ち合わせ。これまでに、この会合に呼ばれたことはなかったが、自分が選挙管理委員長をしているので、来年度の役員改選のことで呼び出しがあったわけ。
このときの昼飯に、猪いのしし鍋が出た。本物のいのしし。あま乃の大将(天野勝利副支部長)が鉄砲猟師もやるので、その猪。独特の香ばしさがあった。この辺りのものは、愛知県内とかのものと比べると、香り味ともにすっきりしているとのこと。食べ比べてみたことはないが、この肉は確かに、上等だった。天然の肉という感じがあった。脂の部分がすっきりしていた。食べ物の関係らしい。ここらの猪は、いい物を食っているということ。いいものとは木の実などのこと。下草などではなく。
午後六時半から九時まで、二十五、六組の新年宴会。下呂のパストールで。
数年ぶりで下呂開催。これまではずっと萩原で。
ここの料理、接待ともに予想外だった。料理については、変な形容だが、食べてしまえるものがでた。また、仲居さんたちの接待も性根がすわっていた。これも不景気のせいかと思う。繁盛していれば、どうしても、すべてが雑になるとしたもの。生き残りをかけて必死なわけである。それが、すべてに出ていた。
この姿が普通である。ところが、高度成長期がこの姿をゆがめてしまっていた。公共事業神話と土地神話が、日本人の頭をふやけさせてしまった。この後遺症は深い。政治、業界、役人、の世界をふやけさせてしまっている。今日のホテル・パストールに見られるように、一般の者はまともに帰ってきているのにだ。
癒着の政・官・業は、自分で自分の始末が出来ずにもがいている。困った。指導層の愚かさは、再び帝国日本の愚かさにぶち込む恐れがある。困った。
1月21日 火 角栄の遺伝子と真紀子
室温十四度、ストーブを焚いて。今朝は、うっすら積雪。午後にはほぼ融けている。
十九日に外へ出たが、あとはこもっている。心身ともにへばっている。何か、気分の晴れることがあれば、すっと元気になるのだが。体力のへばりが進んでいる。寒さに耐えるだけでもこたえる。
この間の猪鍋の天野さんは、僕とほぼ同年だが、その強いこと、ぎょっとするね。人はいろいろということ。彼は、今、山中を猟で動き回っている。並みの体力ではない。
立花隆の例の本は、再読して真中まできた。そのうちのV、W、Xは圧巻。これほどのこわい文は知らない。単にジャーナルの文ではない。読売文学賞とかに十二分に値するのではないか。
僕の読書は、現実といっても、ある人(作家など)における現実であった。あるいは、ナマの現実とは少し距離のある現実であった。
この本は違う。哲学や思想を語っているのではない。思想をナマに語らないようにしている。語れば、司馬さんの文のように、ほんわかオブラートがかかってくるのであるが。
これは、つまり、政治の話である。現に起こったことである。そして、その流れの渦中にある。小林秀雄は、政治のことを、あれは程度の低いことであって、ブンガクのテーマとはならない、という意味のことを言っていた。数を頼んでの集団と権力金力の事などは、ブンガクの対象にはならないと。彼の場合、軽蔑してすんでいた。僕などもその傾向の者であった。
けれども、現実はまがうことなく現実であって、見る見ないは自由であるが、事を動かし、我々の人生を左右していくものは、この現実である。政治という現実。ただ、これは、一般の者には、見通しがきかない。一般の者は、ひたすら目先の必要な動きにのみ関心があるとしたもの。普通である。
角栄は、その一般の者の目をつかって政治を動かした。カネである。この露骨が、実際の政治を動かし、彼は、総理大臣もなり、その後十年間、闇将軍として権力をふるってきた。日本中が、金まみれになった。指導層がああなってしまった。むろんゆゆしき事態だ。事業者ならば、自分の利を謀るのに懸命で、まっとうである。
けれども、政と官とは、違う。彼らは当然すぎることをいいことに、オンブにダッコしてしまっていたのである。政と官が、公を失えば、体制は、文明は、衰退への道を歩いていると見ていい。その文明が火事場泥棒のようなことを平気でするようになれば、もう終わりと見ていい。公が公でなくなれば、むちゃくちゃがあるのみ。
この本は、庶民には遠い世界の事を、リアルに伝えてくる。だからこわいのである。課題が、政治という現実だからこわい。考えの中のことではない。実際にどうにかしていかなければならない。解決していかなければならない。どうやって?とても、自分のごとき宿屋の主にはわかるようなことではない。けれども、事の重大さはわかる。大日本帝国の末路のようなことになっていくのか。
逆に見てみよう。徳川幕藩体制は、なぜあれほどに続いたのであるか。とっくに限界がきていたのだが続いた。それが忠義であると。各藩の武士は、武士道なる忠義を、その人生をかけて実践していた。武士道なる忠義とは、まるっきりの公のことである。角栄が、めちゃめちゃにしたものは、このまだ続いていた忠義という精神だ。忠義という政治道徳だ。武士たち官僚層は、忠義という美徳のために生きた。
だからこそ、徳川幕藩体制は、あそこまで続いたのであると。黒船外圧まで。
日本における政治実践徳目と言えば、忠義のほかの何があるか。何もない。それを、戦後の角栄政治が徹底して壊した。田舎がそれに釣られてしまった。田舎には、ひそかな美徳として残っていたものであるが、我先に、金銭という開発に夢中になった。
そして今何が残ったか、うつろがあるばかりであり、指導層も右往左往だ。左翼や進歩的文化人なるものたちも、総崩れだ。この国難に立ち上がる者がいなくなった。どいつもこいつもカネまみれのアホ面の、偽善面を恥ずかしげもなく見せている。
田中真紀子氏については、そのうそ臭さに、ああいう事件があって皆が気づいてよかった。あのまま、あのハッタリが続くと、日本はどうしようもなく傷を負ってしまっていたかも知れない。
あの者は、我々の恥である。我々は、彼女に自分を見る。我々は、彼女そのものである。我々世代の恥である。
彼女自身は、角栄の遺産・遺伝子を拒絶したのであったが、結局は、親の世界から受けていたユガミに自身まみれていたということだった。痛ましいなどと同情などしている場合ではない。(外務省関係をかきまぜたことは、結果としてプラスマイナスであったが)。
1月23日 木 合併市の名称
朝から、雪降り積もる。いま十センチ(午前十時)。風がないので寒く感じない。真冬に慣れてきた。
きのうは、九時より広報委員会の第二回編集会議。
終ったあと、合併の話になる。これが、長くなって、二時間ほども続いた。こんなことは初めてだ。合併委員もいたので、彼らが、まず、話を聞きたがったようす。それはそうに違いない。こちらは、いろいろ考えを言った。当事者たちには重責である。で、少しでも、参考にしてもらいたいので。
話の中で、驚いたのは、名称のこと。
この十七日の協議会による星雲会館での説明会では、応募が九千通ほどもあったこと、異例の多数であった、との報告があった。これは、当日じかに耳にした。
その中身について、ここで知ってびっくり。なんでも、そのうち六、七千通ほどが下呂からのものであったと。そう言う者がいた。
(念のため、いま、協議会事務局に問いあわせたら、まだ、詳細について一切発表していないということであった。了解。)
以下は、この六七千通に基づく私の見解。
北部の合併市が、飛騨市を採用した。これはまずい。北飛騨市等にすべきである。妥当穏当である。将来のためにもいい。それに関連して、当合併市は、南飛騨市がいいと言った。下呂市等ではおかしい。下呂温泉の名は、変わるわけではない。益田郡の下呂が南飛騨市下呂となるわけで、そのほうがイメージとしてもいいではないか。
どうも下呂町は、焦りすぎだな。広く深く長くゆったりとまちづくりを視野に入れる必要がある。今の焦りようでは、かえって失敗する。全体を視野においていい街にする、という展望を欠いているようだ。
北部合併市といい、下呂の名称問題といい、考えが短絡すぎる。自由競争の悪い面が出てしまっている。この態様は、もう古くさい。新しい方向はそこにはない。合併とは革新ということだ。高度成長期のありようをそのままひきずっているようでは、合併市の肝心の意味がなくなる。
1月24日 金 古関班との懇親会
七時より、漁協古関支部との懇親会。初めての試み。参加者は、萩下班から七名、古関班から六名であった。会場は、古関の楢尾(ならお)会館で。会費は二千円。刺身は、一人前として、マグロ、カンパチ、イカ、メダイを付けることができた。さらにもう一皿として、ヒレカツと鶏のから揚げを。
日本酒四升、ビール五本、それに、焼酎、ウーロン。ビールが足りなかった。酒が余った。古関の者は、我々より若いので、ビールを多くすべきだった。
雰囲気は、しめやかであった。あちらは、上品な感じだな。
みな悦ばしげであった。二千円でも、気持がこもっておれば、充実した 時間を過ごすことができるということ。
ここ古関の楢尾会館は、つくりがすばらしい。木造で、木の香りが一面に漂っている。金もかかっているし、設計もいいんじゃないかな。こういう所で、会場費千五百円でやれたのだから、ありがたい。
十時閉会。みんなで後片付けをした。最後は、古関の班長にまかせて帰った。
友釣り専用区の網解禁について、九月二十日だと、その数日前に増水して流れてアユがとれなくなったので、これが二年続いたので、解禁日を十五日にしてもらいたいがどうかという申し出があった。漁協としては漁期を長くしたいのだが、組合員の意見も取り入れなければならないので、今年は、班会議のとき検討してみると約束する。
出席者・古関班(田代、中田、水口、日下部、日下部、曽我)。萩下班(熊崎、山崎、木村、石丸、渡辺、戸谷、桂川)。
七時開始のときは、雪の姿は見えなかったのに、帰るとき、積雪数センチで、激しく降っていた。明日は、また積もる。
1月27日 月 A市の職員の昇進 ヤフー碁 歩き 息切れ
どうもこのごろは、力が入らない。ぼんやりしている。集中できない。体力が乏しいことははっきりしているが。寒さに耐えるのが大変なのだろうか。ぼんやり万年床にいる。何といって出来ない。気分転換に、スーパーへ出かけて、マウスとCD-RW一枚と油性ペンを買う。すべて、パソコン関係。
このマウス、china製だが、値段の割に、きびきびしている。これまで使っていたのが、すべってしょうがなかったので、疲れたので。
動作を「ゆるい」に設定したのだが、それでも敏感でかえって疲れる感じだ。
ぼんやりが続くので、ヤフー碁をやる。これも、途中眠くなって情けない。一局が、打ち切れない。この歳で、一局を一日かけて打ち切るプロは凄いとわかる。
ここで、A市(七日にアップ)の例の二人から電話がある。飲み屋の様子。一人は、都市計画部長になったと。もう一人は、介護関係の課長。ここ数年話をしていないが、親が宮田出身の者は、ようやく課長になるらしい。あの世界は、昇進が大きな目標であること、清少納言のころも、藤原定家のころも変わらない。
彼の日記『明月記』では、息子為家の昇進が心配でならない様子。定家六十四歳、「廿二日。天晴る。午後、風烈しく雪飛ぶ。夜に入りて止む。申の時に至るも、世事いまだ聞かず。心中鬱々たり」。世事とは除目じもく、貴族の任官のこと。定家は、歌人としては高名であったが、地位はそれ相当ではなかった。そのこともあって、息子の昇進についていらいらしている。息子は、歌のほうはダメだったが、蹴鞠けまりで出世した。
電話中、ついヤフー碁のことを忘れていた。相手は、待っていてくれた。白を持って、盤面十目ぐらいの負けらしいので、早めに投了する。
二十二時半、頭を覚ますために、運動のために歩きに出かける。外は雨。ずっと降っている。必死に歩く。情けない。三十分。帰ってから、駐車場の残り雪のカタマリが一箇所気になったので、スコップで散らす。息が切れる。終って、布団にぶっ倒れる。少し落ち着いてきたので、いま入力している。
CD-RWは、同じものを二つつくっておくことにしたので。これは、どうやら、全部抹消、全部書き込みしかダメらしい。部分は受けつけないらしいので。ハードデスクが満員になって、写真をはずさなければならないので。必要なときだけ、このCD-RWからコピーしてハードデスクに移すことにした。なんだかんだ、機械操作で疲れてしまう。
話を戻して、定家は、昇進・任官のことでいつも頭を満員にしている。それに対して、自分は、この営業を始めて以来、ずっと、売上と借金返済のことで頭が超満員だ。今でも同じだが。子供のかたがついていることと、加齢が違うけれども、いつもいつも悩ましい。適度に忙しいのがいちばんいい。悩ましくなっておれないので。すぐの事を処理していく段取りで頭も体もいっぱいになるので。
振り返ってみれば、よくぞ乗り切れたものだ。結果として、角さん出発の、公共投資と好景気のおかげだった。けれども、これは、いつも彼の仕草のようにせわせわと忙しくなくてはいけない。いつも追い立てられている感じ。体力馬力のある者向きだ。
いま、日本と同じに、不安定である。前は、自分だけが、不安定体質の者かと思っていたが、日本と同じなんてことはなかった。自分は自分、国は国と分けていたが、知恵がついたおかげで、分けられなくなった。知恵はついたけれども、なんとなくの不安定は変わらない。
1月28日 火 川へ。そして少しよそ行き気分。それから小沢征爾。
夕方、急遽きゅうきょ外へ出ることに。途中川へ。前から気になっていたが、これがなかなか実行できないでいた。別に忙しいわけではない。そのうちにと思っているうち日が過ぎていってしまった。
上呂の人から、見てみるようにと言われていたのだが、さて実見、これにはギョッとなったし、気分が鬱っぽくなったよ。そうでなくても、日々が鬱っぽくてまいっていた。加齢のせいにしておいた。写真をアップ。
夕方五時すぎに、和食の店へ、そして、洋食の店へ。雪が舞っていた、積もるほどではないが。店の外の雪は根雪。
ちょうど、ここまで来たとき、テレビを入れたら、小沢征爾のドキュメンタリーをやっていた。つい引き込まれて見てしまった。
小沢については、いつだったか、もう何十年も前、彼がヨーロッパへ行って指揮者のコンテストに出て入賞までする映画を見たことがある。彼の手記を映画にしたものらしい。面白かったのは、クラシック畑の者が、我々と同じ感覚を生きているところだった。意外だった。気取らない。だいたい、クラシックは、格調があって、庶民生活とは、音からして距離があるもの。しかし、この映画は、ふつうの若者が奮戦やら失敗やらする。
このテレビドキュメンタリーを見ていて、あの映画の彼を思い出した。彼の感覚は変わっていない。むしろ逆で、彼は、自分の普通感覚、庶民感覚に頑固であろうとしている。彼は、西洋と東洋(日本)とを、この現代の場で格闘させている。普通の感覚にこだわっている。それが、信州の山村での交流に出ていた。あの映画の、行動的反逆的小沢征爾は貫かれている。
(二十代にしばらく名古屋に居たほかは、当地にじっとしている。まして、外国などは知らない。映画等で知るだけである。ヨーロッパ、儒教の国たる中国を含めて、それらの国々と比べて、日本は、庶民・大衆が頑張っているんじゃないかな。小沢を見ていて思った。クラシック世界からすると、彼は、ある種の異端児じゃないのかな。)
1月29日 水 「日中、もう一つの文化交流――掃除」
昨日の夜――今朝は、五時まで起きている。ふらふらだ。疲れか何かわからない。が、不快な気分になる。しばらく寝たあとうなされ目が覚める。心臓が苦しいので、起き上がる。少し落ち着いたところでまた寝る。不快は、朝昼夜と続く。今、元気が戻る。で、入力している。
起きていたのは、「日中、もう一つの文化交流――掃除」を聴いたので。掃除で日中の文化交流。鍵山秀三郎氏(日本を美しくする会代表)と井辻栄輔氏(広島掃除に学ぶ会会長)が語った。この会は、恵那市に関係があると言ったので、聞き耳を立てた。すすんでトイレ掃除をする。その会に入った恵那のある社長の会社がみるみる良くなっていった。社員がトイレ等の掃除に取り組むことで、気持が穏やかなものに変わっていった。その会は、ボランティアとは違うと。掃除対象として提供される施設等に対して、ありがたいという気持で受ける。根に宗教性がある。
目を上に向けるのが一般であり、社会の風潮であるが、それを、逆転させる。目を下に向ける。そして、もくもくと、掃除を実行する。その黙々とやる時間の中で、気持が落ち着き穏やかになる。そのことが、社員たちの行動に影響して、結果として業績上昇につながっていった。こういうことがあると、その会員になる人が増えていく。そして、中国行きとなった。
中国では、まず、大学の便所掃除をした。向うはびっくりした。日本は、戦時にひどいことをしているので、評判がよくない。けれども、毎年続くうちに、彼らも気持が動かされてきた。
中国は、儒教伝統の強い国で、指導する者たちが、トイレ掃除するなど想像外なのである。これを打ち破っていった。沈黙の行動が説得していく。
鍵山氏と井辻氏には、共通の思想があった。この競争繁栄社会に対する疑問であり、批判である。そのことが、沈黙の掃除等へ向かわせた。
僕らも経験上、上を向いてばかりいると、いらいらしてくるものであるとは知っている。そのことを確認させ、それを克服させるものが、トイレ等の掃除実践であった。
1月30日 木 鬱とお喋りとアルコール
ここ数日は、夜遅くまで起きていたことと一人篭もりが続いて、気がめいり精神状態不安定が続いた。また、川のこと、申告書のこと、大きくは角栄政治とその流れのこと、などで、気分が晴れなかった。で、酒を飲んでみた。ずっと禁酒状態だったが、どうにも気分が晴れないので、飲んでみた。二合ぐらい飲んだ。
二十七日は、食事のとき飲んだ(日本酒)。酔わない。けれども、この日、九時ごろだったか、Aさんから電話があり、えらく軽く喋ったので、これは、飲んだ影響だろう。Aさんたちは、飲み屋からの電話だったので、話を合わせることができた。アルコール。
ここ数日、ためしに、日本酒、ビール、焼酎を飲んでみた。さらに、マオタイ酒(貴州茅台酒)も。この酒は、角さんが毛主席、周首相と飲んだことで名を知らしめた。これを、嫁が土産にくれていたもので長らくそのまま手付かずだったのを、取り出して、熱い湯にほんの少し小指の先ほどたらして飲んでみた。独特の香りがして、たちまちお湯が、独特のお湯に変わった。この酒は只者ではないぞ。
さて、お昼ごろ起きだしたが、どうも気分がすぐれない。鬱っぽくて変調だ。あぶない。で、リンテンさんへいって話すことにした。やはり、効果てきめん、気分がしまって明るくなる。
そこへ、カミさんが呼びに来たのでいくと、議員がいた。話していると、もう一人来た。三人で喋った。この会話は、他の人にはきついだろう。大工会話、社長会話、技術屋会話、役人会話、と同じく町議会和というものがあるのだな。
夜になって、鱗友会の打ち合わせ。三人で。僕は湯割をちびりちびりやり、彼らは日本酒を飲んだ。そして喋った。みんな、力をこめて喋った。そうやっていると、元気が出てくる。病気気分は解散だ。僕は、町村合併について力をこめて語ったよ。
2月1日 土 帳面 老年
昨夜は、カミさんが疲れたと、我が仕事場兼寝室でごろ寝してしまった。風邪をひいてはいけないからと、ストーブをたいた。ストーブを焚いたまま寝る習慣はないので、まいった。さらに、暖房じゅうたんのスイッチを入れられたので、体調が狂ってしまった。慣れぬ事はだめだ。明日は鱗友会が入っているので、寝込むわけにはいかない。
帳面の整理をカミさんが始める。去年は、三月七日に退院して、十五日に間に合わせるために、すぐに、整理を開始した。ついに間に合わなくなって、申告の段階で、商工会に頼んだ。そのときに、訂正等があったのだが、あわただしくて、電話で了解して、結局そのままになっていた。そのツケがきた。訂正がうろ覚えで困った。
カミさんは、相変わらず、帳面はつけるが簿記が解らない。で、僕の頭に、カミさんの処理と、商工会の処理が入り込んできて、こんがらがってしまう。
開始仕分けの段階から、もとに戻ってこつこつ探して納得していかなくてはならない。困った。面倒だが、やらなくてはならない。簿記の原理はわかるが、プロではないので、年一回の処理がすぐ解るわけがない。頭がきしきしと苦しむ。カミさんと、ああだこうだ話しながら、じょじょに糸口をつかんでいく。
それにしても、彼女も老年に近く余力がないので、がみがみと強い言葉を発する。それに対して、こっちのほうが弱っているので、反発できない。まあ、彼女の不満の聞き役になろうと。
DMC-FZ1が昨日来たが、使い勝手がわからないので疲れる。疲れるとは歳だなあ。すべてに歳だなあ。今日、昼に、向かいの同年配の大将の姿をチラッと見かけたのだが、そのいかにも老年となった姿に愕然。
2月4日 火 申告書
寝たのは今朝。七時ごろ。起きたのは、夕方。血圧のせいか、しばらく不快。
夕食。うどん汁。カミさんはトンちゃん。トンちゃんは尿酸値が上がって、足の指先に来るので食べない。
今日は少し空気がゆるい。二三度は高いか。それだけでもラクだ。この部屋で室温二、三度のここ数日は苦しかった。
テレビでは、番組回顧をやっている。あのころからもう三四十年たっている。感慨。
申告書を開始する。去年は商工会で、一昨年は自分でやった。友、加藤紘一税理士が死んだので。
去年は三月七日に退院して、それからはじめた。間に合わなくなって商工会に頼んだ。間一髪間に合ったが、担当職員は機嫌が悪かった。
旅館の耐用年数がきていたのだが、気づかず計上してしまい、直される。そのあたりの話を、事務局から電話でやりあったのを思い出した。その後、一度出かけて職員に会って訊くつもりだったが、果たさず終ってしまった。そのツケで、もう一度、彼女の経理内容を考えてみなければならない。それがユウウツ。カミさんは、三年目なので、前二年のやり方を真似て仕訳をやり終えていたが、案の定開始仕訳はできない。貸借が合っていない。
で、さっき償却費の計上計算から見直して修正がわかったので、開始仕訳は無事出発。明日カミさんがやっておくことに。
2月5日 水 第四回合併協議会 田口さん トヨタの利益一兆円超
睡眠二時間ほどでカミさんに起こされる。九時少し前。外は一面真っ白。けれども、寒さはひどくない。洗濯機の水は出たようだ。協議会に間に合わせなくてはならないので、えいっと起きる。味噌汁をつくる。しゃぶしゃぶ用の豚があったので、白菜と入れる。少しうすめだが、豚肉がきいてうまい。腹がへっていて、ご飯をどんぶりに半分食べる。レンジは便利。ありがたい。一分半で、ほかほかのご飯に変わってくれる。
アツアツをふうふうして食べていると、事務局から電話。九時半と言ったと思いますが、十時ですのでと。了解。事前にネットで十時と確かめてはいた。外は真っ白。積雪五センチぐらい。凍っていない。県総合庁舎へ。軽バン四駆の実質すばるはよく走ってくれる。ありがたい。
傍聴者は少なくて、六人ぐらいか。本日は、項目の経過説明。あとは継続審議。名称について、候補十の中から選ぶことに決まる。
控え室では、下呂が強行らしいとのこと。で、ある記者に、下呂は強行らしいですねえーと言うと、肯いてから、萩原もそうじゃないですか、と切り返しぎみにきた。びっくり。下呂と萩原では強行の中身が違う。こりゃ、きちんと、どっかで言っておかなくではならないな。お互いのためにならない。問題は、将来市なのだから。
大森会長が葬儀に出ていて、遅刻とのことで、副会長の馬瀬村村長が代わって議事進行役。十一時の休憩後に彼は来て、挨拶した。亡くなったのは、昭和三十年ごろから四期小坂町長を務めた中島さん。その昭和の大合併の話を、今のとからめて彼は少し語った。しっかりやろうぜと。
十一時の休憩のとき、デジカメで数枚撮る。写真ファイル集にアップを予定しているが。
昼に休憩となったので帰る。午後には、小委員会二つが開かれる。一つは非公開。
五時に起きたが、頭がふらつくので、カミさんに調理を頼む。客二人。
八時ごろに、上村にある田口美義さんの息子夫婦のうちへ行く。田口さんは、この十九日に亡くなったと聞いたのでおまいりに。八十三歳。ユニークな頑張る人だった。この年末には、リンテンさんのところへ来たと。バイクに乗ってきた。
今びっくりニュースを知る。トヨタの経常利益が一兆円を超した。一兆五千億円となる見込み(日本初)。売上は四兆円。この好調は、今年も続くようだ。日本は世界第二位の経済大国だそうだが、実感できない。しかし、トヨタのこういう業績を見ると、製造業経済大国なのだなあ。競争のど真ん中にいて鍛えぬかれている。
土建業界や金融業界にこの体質はない。甘い。国の甘やかしが、結局はお荷物となって返ってくる。ツケはかえってくる。
2月6日 総文委員会 合併委員会 「御嶽ぶなしめじ生産工業計画」
総文委員会では、萩小の校内LANの設置工事分。八百万円。そのうち町負担は三百万円。残りは国の負担。
終って合併委員会。こんどの十二日にはかなりはっきりしてくる。昨日の協議会報告でも、やはり、名称・位置とも、下呂町の思うようには行っていない。で、下呂は、拒否権を発動。
昨日、合併委員会会場で、「ちまたの声 茶の間」というチラシを渡された。これは、小坂町議 早子博氏の発行したもの。通信No.-253 となっていたから、名の知れたものだろうが、僕には初めて。早子博という名もはじめて知る。テーマは、この二十九日の臨時議会に出された「御嶽ぶなしめじ生産工業計画」議案について。早子氏は反対討論をした。その要旨をここに載せている。反対者は早子氏をいれて三名。したがって賛成多数で可決。なお賛成討論は三名の議員がした。
「御嶽ぶなしめじ生産工業計画」は、工場建設に三億二千万円。機械器具等に二億三千万円を予算計上。
氏は言う、町民は御嶽リゾート計画、巌立ベーカリー(パンを作る)事業計画等には、挫折感を抱いており冷めていると。したがって、お荷物になるだけだから賛成できないということらしい。
代わりに、税の減免・融資・工場環境や近辺道路の改良等を勧めている。
賛成討論者は言う、国からの補助をかち得た町に対して感謝していると。三十人ちかい雇用がはかられるので、心配ばかりしていてもだめだ。推進すべきだ、ということらしい。
この早子氏のチラシには感心した。読みやすく解りやすく書いてある。また、反対・賛成の両方の言い分について、公平を心がけて表現している。こういうチラシはなかなかできるものではない。簡明・明快な表現のものほど、つくるには技量・労力がいる。
2月7日 金 宮城県本吉町 コメヤさんのフレーム
六日、役場の帰り、コメヤさんに寄る。今年になって初めてか。ほとんど、引きこもっておったので。
気温が少しゆるくなってラクだ。朝食準備のあと、寝てしまう、ぐっすり。起きたのが夕方。眠り病か。
夕食準備のあとも、ぼんやりしている。集中力がどっかへ行って戻ってくれない。back
to the futureを見る。これは三作め。一作ほどの新鮮味がない。続いて、石坂浩二声出演のローランを見る。これは、探検ものなのか、学術ものなのかはっきりしない。でも、中国解禁が新鮮であった、二十年前。
頭がだんだん興味心を取り戻してくる。『地方議会人』一月号、「宮城県本吉町議会」――議会活性化の実践例――の続きを読む。感心するのは、この紹介文。これは、議会事務局がやったものとは思えない。これだけの濃密な文章力はプロのものではないかと思うが。もし、これが職員の手になるものなら、町議会も町も凄いところだ。先進ランナーだ。
コメヤさんに戻って、用件はウエブページのフレームのことだった。一二度玄関で彼が呼んだのは知っていたが、そのつど眠り病に引き込まれていたので。
彼は、どうにもフレームができないと。そうかな―と言って喋りあう。彼としては、頼りになる者が来たので嬉しいようだ。しかし、その場では大体のことを喋るだけで帰った。フレームは、HTMLで作ったことはあったが、作成ソフトでは作ったことがないので。
説明書を読んでやってみるに、なんと、ラクにできることか。作成ソフトを知らないとき、HTMLでやったが、これしかないと思っていたのでできた。長男がHTMLでやれといったので従っただけだったが、結果としてよかった。HTMLの基本が身についたので。
夜、コメヤさんに電話して、ビルダーを開いてくれと言う。彼は、フロントページも入れているので。すると電話口で、夫婦がやりあうのが聞こえる。そこそこに大きな声で。どこも同じ。このオカミさんは、店のお客さんでもあるので知っている。歳はうちのカミさんと同じくらい。彼女はふだんは、ヤマトナデシコだが、なかなかやるもんだわい。店じゃないので、よそ行きではないので。また、僕からの電話だと、取り次いで知っていたので、遠慮がない。遠慮がないようにしようとしているのかな。
いや、パソコンに電話を取られるからかな。あるいは、話中だったのかな。いや、体調の関係かな。
彼は、僕の指示をホイホイとこなしていく。こりゃ、かなり慣れたもんだわい。デスクトップに、関係ファイル三つを置くことができた。これで、前に進める。
2月9日 京セラ(株)の創立者・稲盛和夫氏のお話
予報どおり気温が上がる。三月中旬の陽気か。
漁協支部総会。星雲会館で一時より。こじんまりとしていた。景気のせいで、元気がない感じ。選挙管理委員長として、来年度の役員改選について、手続きを言う。
終ってから、すぐ古関の二本松へ出かけて、写真を撮りなおす。けれども、もう西日になっていて、手前の部分が陰になっているので、明日にでも撮りなおしに出かけるつもり。
店には、おばあさんたちがいる。このごろ、毎日曜日にはこういう状態。支部長副支部長が来たけれども、店がこうなので、外へ出て探したが、休みばかりだったので、引き返して、裏の座敷で話す。ストーブなしでも寒くなかったが、夕方になるにつれ苦しくなったので、解散。
それから、寝てしまう。夕食時にも食べたくないので、そのまま。ぐったり寝てしまう。
京セラの創立者、稲盛和夫さんのお話を聞く。感銘、びっくり。いまどき、経営者でこういう感覚の人がいるかと驚く。
経営の話ではなくて、人生の話。
この人は信仰の人である。宗教の人というとあたらない。信仰の人、信ずる人である。
紋切り型で話さない。じっくり、ぼそぼそ語る。自分の身体で語っている。本物の信仰者である。決意をもって、実行している人。実践の人。この講演の言葉は、非常に素朴で、経営者のものとは思えない。いい心、美しい心で、人のために生きようと言っているだけである。事は、実行しているかどうかである。この人の喋り方から、これは、実行の人であることがわかる。欲の人ではない。貪とん(貪欲 むさぼり)・瞋じん(瞋恚 腹立ち)・痴ち(愚痴)。とん・じん・ち。仏教の基本態度。とんじんちが、迷妄、煩悩の根であると。これは、頭の言葉ではなく、体の言葉である。ゆえに、信仰である。
稲盛さんは、いま京セラとKDDIの顧問である。啓蒙のための講演等を仕事にしている。京セラは、売上一兆円、KDDIは三兆円。大成功経営者であるが、語ることは、ぼそぼそとして、道の人、思想の人、信仰の人である。その簡明素朴な思想によって、日本の再生を願い、地道に活動している。
http://www02.so-net.ne.jp/~seiwa/
2月10日 月 稲盛さんの続き
稲盛さんは、七十一歳。鹿児島出身で鹿児島大学卒業。専攻はばけ学。化学。大学卒業までは普通であったが、以後、普通ではなくなる。この人の中に、ある思いが育っていった。技術者、経営者という枠を越えたものが。
しょっぱなに以下のことを言ったので、びっくりした。人にはそれぞれの運命というものが決まっているのだと。これだけ聞くと、確かにこれは信ずる世界、信仰の世界であるが、一般の説得力をもたない。とても、京セラを起こした経営者とは思えない。
さらに、声の響きが独特である。ぼそぼそと自分に確かめながら喋る。今風ではないし、最先端企業の経営者とは思えない。威圧するところがない。お喋りではない、演説調ではない、説教調、漫談調ではない。声はぼそぼそだが、全体に重い。じっくりと迫ってくる。
運命が決まっている、と言った後で、もう一つの肝心な主張が来る。それは因果応報、因果の法則。こちらがメインである。メインであるために、前者が大切なのだ。決まった運命を変えていくものが、その人の日ごろの意思、心がけだと彼は言う。よきこと、美しいこと、人のためを思い、実行する。このありふれた、言い古された信条が彼の思想である。簡明簡単である。この思想は、世間とは逆行している。世間は、言説をもやもや複雑にすることをもって価値あることとしているので。
また稲盛さんは次のように言う。上記の考えは、明治維新前は、日本人なら誰もが抱いていたもの。それが、西洋に追いつき追い越せが始まってからは、運命だとか、因果応報だとかの考えは、迷信として否定されていった。日本は世界第二位の経済大国になった。けれども今、大きな混迷の中にいて、なかなか出口が見つけられない。西洋ふうの、目標とされてきた合理と欲望の世界は、どうも何かおかしいんじゃないかとみなされるようになっている。稲盛さんは、あえて、ぼそぼそと、喋りつづける。迷信の肯定と合理と欲望の否定。
次は、宇宙の話。百三十億年程前に、ビッグバンがあって、以後宇宙は膨張を続けている。生成発展の「気」が働いている、と言う。この「気」に合わせようと。「気」は、災難も幸運も試練としてとらえ、感謝の心で対応することを喜ぶと。また、謙のみ福を得ると。
最後は、サッカーのお話。京都のパープルサンガ。稲盛さんは、京都市民が二十五万人の署名を持って、ぜひチームを作って欲しいと言ってきたので、しぶしぶだったが引き受けたようだ。サッカーとは何も縁はなかったが。年に十億円もつぎ込んだが、J1からJ2に落ちてしまった。有名選手も去っていった。
そこで、技術については解らないが、行って、チームと語るようになった。そして一年でJ1に復帰した。けれども、今度は、有名選手を呼ばないことにした。現状のまま続けることに。そのことが、二流選手たちに大きな動機づけとなったようだ。稲盛流なのだろう。
2月12日 水 「議会だより」合併速報号。稲盛さん。堀栄三『大本営参謀の情報戦記情報なき国家の悲劇』
九時より、広報(議会だより)委員会。合併の速報号について打ち合わせ。十三日に経営者団体、区長会に対して、説明会を開く。で、住民にも伝えたいということで。
雑談もいれて、話は、もっぱら下呂町の動きに終始した。市の名称についてのあの結果で、下呂の考え方、やり方というものがはっきりしてきた。この不況が手伝ってあせっているということ。議会の中が、変になっている。会議を開いてガンガンやればやるほど、変になっていくんじゃないかな。あたりまえから遠ざかっていく。
下呂役場の、ネット町民掲示板が閉じたままになっている。二ヶ月以上になるんじゃないかな。このごろ、気になって開いてみるが、掲示板が見当たらない。異常事態だ。どういうわけだろう。この大切な時期に、住民の声の場を閉じるとは。
稲盛和夫さんの続きを少し。簡明と複雑ということ。彼が語った内容も声の調子も、大会社の成功経営者とは思えない。信ずる人、信仰者のものである。むろん彼の頭は、遥か並以上に複雑であるが、その様子は見えない。これはなぜか。
生きる馬力に関わるのだろうと思う。複雑では、力がこもらない。出ない。簡明の中にいてこそ、自分も人も引っ張る力が出てくるということ。
堀栄三という帝国陸軍参謀の書いた、『大本営参謀の情報戦記』を読んでいる。副題として、情報なき国家の悲劇、とある。二割ほど読み進んだだけであるが、立派な本だ。戦記というものをはじめて読むが、言葉が素直にはいってくる。客観性と詩情があり、上品に出来上がっている。けれども、苦しい。近代化日本の苦しさである。そのいびつさに。チグハグさに。
そして、現在の日本がこれと重なってきて苦しい。
堀栄三は、1923年(大正二年)の生まれ。1943年(昭和十八年)三十歳で、大本営陸軍参謀となる。昭和二十九年自衛隊入隊。1967年(昭和四十二年)五十四歳で退官。以後、大学でドイツ語の講師をする。
この本は、1989年(平成元年)になったもの。彼は、ひたすら沈黙を守ってきたが、七十六歳のとき、ついに出版となった。
平成三年、七十八歳のとき、奈良県西吉野村の村長となったが、四年後、八十二歳で死去。
2月16日 日 現代用語の基礎知識 鯉 アッツ島
朝起きてすぐ窓から外を見て驚く。雪降り。ボタン雪。十センチほど積もっている。ボタン雪で、寒さはきつくない。
昼まで休み休みして、『現代用語の基礎知識』を読む。『大本営参謀の情報戦記』を読んでいて、軍隊用語が解らないので、買ってきたもの。「自衛隊」の項目を読む。なんとなく解っただけ。項目が羅列して解説してあるだけなので面白くない。期待通り面白くない。
だが、巻頭の、政治論文には引き込まれた。これは、羅列解説ではない。山口二郎氏が、一貫した考えの元に批判的に解説している。なるほどそうかと確認できた。つぎに、「日本人は変わったか」を読む。これは、日常語で日常生活を解説している。これにも感心した。両論文に共通しているのは、批判的な目であり、内容としては、高度成長期からの展開、変化とその後遺症。
高度成長期日本は、アメリカに対する再度の挑戦であったことがわかる。そして、世界第二位の経済大国となった。今、夢中で走ってきたものが、ほころび崩れて、もたもたの現状である。どうにも立ち直れない。再出発ができない。この論文は、その再出発のためのヒントを与えている。経済に驕り酔った頭を醒ませと。頭を醒ませと。高度成長期をつくった要因が、今度は、しばりになってきている。
魚を焼いて、昼食にして、テレビ碁を見ていると、鱗友会会長さんが、予定通り鯉獲りをやるので、来てくれと。参加しないと言うと、写真に撮ってくれと。で、飛騨川公園へ行く。八人がいて、網を張っている。元気な初老たちである。このありさまは、高度成長日本の賜物。
帰ってから、また、休み休み、続きを読む。この本は、用語解説事典であるが、項目と解説者によっては、現代を深く読み取って解説している。こういう文には関心がもてなかったものだが、議員となってから、仕事として読んでいる。読めるようになった。
飛騨川公園より帰ってから、上記の事典を読みつつ、気晴らしにテレビをつけたら、"アッツ"という言葉が聞こえたので画面のほうを振り向く。この言葉は、玉砕の島(18年5月)として知っていたが、堀栄三参謀の情報戦記を読んでいるので、ギョッとした。アリューシャン列島先端のこんな島の名前は、普通には出てこない。しばらく画面を見ていると、やはり、玉砕関係である。で、座りなおして見ることにした。ルポをしている者は、緒方直人。独特のカッコウつけた喋り方に特徴がある。映像の中の彼も、控えめで、雰囲気を出していた。多分、これは演技ではなくて、青年医師辰口信夫見習い士官を追っていくうちそうなったものだろう。
玉砕は、『情報戦記』の中で、主要テーマの一つとなっており、なんどもでてくる。というより、事実として、日本軍は、玉砕につぐ玉砕であった。沖縄に次いで、本土玉砕となるはずであった。玉砕にさせたのは、アメリカ軍の作戦であったし。日本軍は、それを破る力がなかった。国力・鉄量の違いである。なぜそんなことになったのか、事前に読めてなかったのか。
堀参謀は、米国専門の情報課ができたのが十七年だと言う。信じがたいが本当である。アメリカは、大正十年には、日本を射程に置いた戦略を立てていたようだ。日本は、戦争に引きずり込まれたのである。これは、極東裁判時に、清瀬一郎弁護人が主張していたものであったが、そのときは、軍の証拠は、敗戦時に焼却してしまってあり、立証できなかったので、うやむやになってしまった。日本軍の甘さと、アメリカ軍の老獪さからすれば、そうであったに違いない。
アッツは、日本軍の玉砕戦法(二千人)の始まりであるが、アメリカ軍の方は、降伏しない相手に当惑していた。
辰口信夫見習士官は、アメリカで医学を学んでいた。また、彼は日記を書いていたが、それが、米軍の手に渡り、すぐ翻訳された。それを、その内容に感動して持ち帰った兵士があった。このルポは、その日記をたどったものであった。最後の記述は、天皇陛下万歳となっており、しかし、続けて、二人の幼い娘と妻への別れの言葉があった。米軍兵士たちは、家族へ向けての別れの表現に心打たれたのであった。
2月18日 火 請願 住民投票
下呂町の斎藤さんから合併関連についてメールがあった。彼の交友関係者等に出したものだろう。自分の場合は、川の住民会議で一緒になった縁。
目的は、「住民投票を考える会・準備会」を立ち上げたいのでということであった。
これとは別に、ただいま、「下呂町の明日を考える会」が、「請願」のために一千人目標の署名をやっているとのこと。
中間報告としての『萩原町議会速報』が今日折り込まれた。内容は、最新の報告である。
どうも下呂議会が迷走しているようだ。ひたすら混乱をつくっているばかりのように見える。相変わらず夜遅くまで、ガンガンとやっているようだ。夜遅くまでやることが、立派な議会活動ぶりを示しているのだというように。と皮肉りたくなる。話が肝心のところから逸れて行っているのではないか。
議論の内容等については、むろん解らないが、役場のネット掲示板が閉じたままになったりとか、議論には直接に関係ないが、変な兆候が窺がえる。
請願の署名活動や、住民投票準備会は、ああした議会の迷走にしっかりしてくれよと言うためのものなのか。
僕としては、合併についての図式は、簡単である。実行が大変だけれども、方向としてははっきりしている。あとは、いい結果に向けて進むばかりである。
新市の名称は、下呂市など、旧のものであってはいけない。新しい名称で新しい出発をしなければいけない。その名称によって、下呂町もその他の町村も、活力が出るものでなければならない。なお、旧の名前は、消えてしまうものではない。かえって、その実質を、中身を大切にしようとする気持が強くなるだろう。
前の合併のときの、竹原、中原、上原は、消滅したろうか。そんなことはない、かえって、地域を大切にする気持が出てきている。
こんどの合併では、下呂は、前のときのようにはいかない。中心があたりまえではない。中心があたりまえではないのだから、一歩を引いて、新しい下呂として一歩を踏み出さなくてはならない。下呂の脱皮のためのチャンスだ。
2月26日 水 尾崎小学校生徒の議会見学感想文 総文・産建合同町内視察研修
午後四時まで、十六箇所を回り、説明を受けた。さすがに、役場へ帰ったら、ぐったりして喋る力も抜けた感じ。皆も。
これに先立って、朝、全協室に集まったとき、この間の、尾崎小生徒たちの議会見学の感想文が配られた。生徒の感覚が出ていて面白いので、コピーする。
| ◎ | 今日議会を見に行っての感想 行く前は、私達がやるみたいな話し合いをするのかと思ったら、テレビでやっているのみたいでビックリしました。1人にたいして2人〜3人ぐらいがしつもんをしていました。疑問に思ったことは、どうして、向き合いになっているのかな?と思いました。あれはどうしてですか? |
| ◎ | 今日は役区場の議会をみにいきました。町長や役所の人(?)と議員とのあいたで、説明や質問などをして決まって、高価のお金が動くんだなと思いました。 |
| ◎ | 今日の2時間目に、議会を見に行きました。議会では、合ぺいのことを話し合っていました。経営管理か長と、13番の人が、言い合っている時に、経営管理か長の人が、質問されている時に、電話をかけたせいで、13番の人がキレて、かなりおこって、まじでビビリました。もう、ああいう場には行きたくないです。 |
| ◎ | 今日は、役場に、議会見学へ行きました。 はく力があって、とても、びっくりしました。 萩原のことなど、ここで意見を出しあって決めているんだなと思いました。 |
| ◎ | 今日、役場で議会を見学して来ました。東京の議会は、すごーく大きいと知っていたけど、萩原も、議会の中が、すごかったです。初めて、役場の2階、3階へ行きました。議会の話しは、合併の事でした。人が話しているのに、相手の人が、電話をかけていて、ケンカになってしまい、とてもビックリしました。議会の中でも「ケンカ」があるんだな―と思いました。 席に、番号の札がおいてありました。 イスが、大きくてビックリしました。 初めて、入っていろんなことがわかりました。すごかったです。 |
| ◎ | 今日は議会に見学に行きました。 中は先生がいった通りスゴク暑かったです。 と中で言い合ったりしていて、コワかったけど、議会ではみんながしつもんしたりして、しんちょうに萩原の事を決めている事がわかりました。 私たちの中にも将来あそこにすわる人が出てくるのかなあ?と思いました。 |
| ◎ | 今日、2時間目に社会で役場へ議会の見学に行きました。私達が行った時は「市町村合併」について話し合われていました。会議室!?の中を見てスゴク、ビックリしました。まるで、国会みたいでした。議長さんがみえて、町長さんがみえて…色んなえらい人がみえて、質問がある時は「○○番○○○」と番号と名前をいちいち呼んでいました。少し、きんちょうしたけど、難しい言葉が出たりしたけど、勉強になりました。 |
十三番議員が、「不謹慎だ!」と、いかったのには、こっちも、烈しいもんだなあと思った。今はだいぶ慣れてきているが、はじめのころなら、大変だなあとびくついたろう。
議長は、このとき何も言わなかったのだが、電話のことが見えていたのなら、注意したろう。
生徒たちは、とくに女子生徒は、普段どなられることがないので、肝をつぶしたろう。
しかし生徒たちは、議場のものものしさ、張り詰めた空気には、議会審議の緊張・慎重に感銘を受けたろう。この日のことは生涯忘れないだろう。同窓会などでは、このときの事が時に話題になるだろうよ。
3月3日 月 旧軍参謀の文が効くから不思議だ。
朝の四時。金曜日に、たまたま「朝までナマテレビ」を見て、そのあとすぐ眠れなかったので、そのせいで、いま、なかなか寝付けない。で、一合をレンジで熱くして飲む。『大本営参謀の情報戦記』の続きを読む。常識が戻る感じがしてくるので不思議だ。戦時モノが常識を取り戻すとはおかしいが。
実際そうだ。このごろは、合併や地方議会や、経済やの文を読んでいたが、これらは、どこかしこ形而上傾向にさせる。堀栄三少佐参謀は、軍に横行していた精神主義にならないことを一つの目標にしてきた。それが、この本に底流している。数理現実による軍活動、情報活動。それが、いま、自分には非常に効き目がある。ということは、日本は、いつも、形而上傾向に流れやすいということなんだろうかな。
3月4日 火曜日 保養地委員会、合併委員会
古民家を活用した健康交流施設の増築計画(案)
岡崎泰弥氏から寄付されたもの。「益田造り」。休憩・研修機能を充実するため。予算は七千万円。通路で本館と結ぶ。六部屋、五十畳ほど。ふすま仕切り。出店スペースはあるが、厨房等はない。
施設の第三セクターによる経営。町からは、二十五パーセントほどの出資。中心は、日本水泳振興会なる会社。日本水泳連盟とは直接の関係はない。
サンセクは、施設を賃借りすることになるが、賃借り料として支払いを要求していないようだ。
黒字になって、その分が入るようなら結構な話だが、これは、全国の同類のものの経営状況の報告によると、望めない。せめて、累が、悪い結果が町に来ないようにすることを望む。その点を十二分に配慮するようにと言っておいた。なお会社は、五月頃できる見込みだ。
循環式。塩素殺菌はしない。代わりに銀イオンを使う。設備は高いが、長い目で見ると安くなる。塩素殺菌は問題が多い。
収入としては、十二万人、一億円を見込みとしている。支出も同程度。減価償却費はない。施設の貸し料もないようだ。ラクラクの経営だが、甘くなって変な事態を引き起こさないことを切に望む。当施設のありようは、新市にたいしても、重要な要素となる。新市のイメージを高める働きをしなければならない。
続いて合併委員会。
打開への道として、新しく、各町村長もはいった二十人からなる小委員会の設置。「新市名称及び新市事務所位置検討小委員会」。これに対して、あらためて、萩原町の基本方針を確認した。
3月5日 水 世間
かなり前のことになるが、住専で名を広めていた中坊公平さんが、その職を辞した後、テレビに出て、過去の事件のことをざっくばらんに語っていた。その中で、非常に驚きいまだに忘れがたいことがある。
それは、少壮弁護士として張り切っていたとき、森永砒素ミルク事件を担当していたときのことだ。患者の親の一人の言葉として次のように語った。
あなたにとっていちばん辛いことはなんですかという話になったとき、その親は意外なことを言った。当然子供の不具合のこととか、金銭のことであると予期していたのだが、答えは、周りの人の目が怖いのだ、と言ったと。これが、子供のことよりも、生活のことよりも何よりも、辛いのだと。これを語るとき、中坊氏は、もらい泣きしながら語った。で、僕も、ああそうですかですまなかったのである。何よりも怖いのが、補償金等に関しての近所の人たちの目。これはどういうことなのか。
当時は、感覚として中坊氏同様にわかったのだが、いまならこれを、それが「世間」なのだと言える。
こんどは、まったく別の事例で、中坊氏には関係がない。
宮崎勤という者がいた。「世間」を騒がせ、世間、マスコミが騒いだ。婦女誘拐、殺人などで、今はどう決着しているか知らないが、事は彼自身ではなく、彼の身内、姉妹と父親のこと。
彼が引き起こした事件のために、彼の姉妹は婚約を解消された。また、父親は、新聞社を解散し、ついには自殺してしまったらしい。
平塚らいてう、は社会科の教科書には今でも必ず出ているはずである。女性解放において、最初期に活躍した人として、与謝野晶子とともによく知られている。『青鞜』という同人誌とともに。
彼女は、若い頃に、漱石の弟子の森田草平と心中未遂事件を起こした。彼女は、日本女子大学が生んだ逸材であったのだが、その同窓会は、彼女を除名してしまった。良妻賢母を送り出す大学としては、仲間に入れておくことができなかった。
しかし、死後二十年してから、同窓会は、その除名を取り消した。戦後の社会科教科書等において大きな名誉を与えられるようになったからである。日本女子大というエリートたちの同窓会であるが、これも、世間の一つであるとして理解するのが妥当だろう。らいてうは、これを逆バネにして世間と正面から向き合うことを自分の使命とした。しかし、一般の者は、今でも、こうも強い態度は維持できないとしたもの。
3月6日 木 子供を育てるとき「世間」のことをどう教えたか
算数や英語や、社会科の地理や歴史のことなら、話し合いということはできたはずだが、長男は、そういう話は一度も持ちかけてこなかった。で、その種の話はしたことがない。ただひとつ、繰り返し言ったことは、自分で自分の始末をする者になれと。つまり、自分で稼いで自立して生きることが大切だということ。だから、これこれのえらい者になれとか、勉強して成績を上げよとか、そういったことは言わなかった。
彼がくらいついてきたのは、何々を買ってよこせとねだるときだ。駄目なものはだめだと言い通した。話し合いの余地などはない。
このことになぜかという返答をするとなれば、話が込み入って、子供にはわかるものではない。ダメなものはダメだと突っぱねるのがよい。なぜかという話になると、算数の話ではすまなくなる。そこに、世間、というものが入ってきて、その微妙なことに触らなければならない。その微妙さは、僕自身が持て余しているようなことなので、とても、子供に語って聞かせることはできない。時を待って、子供が成人して、世間について自覚的に学ぶしかない。そのときに、見当違いをやらないように、それとなくアドバイスするだけである。
僕は大学へ行き、その頃、安保や学園騒動の頃で、「社会」がどうのこうのと理論ばって会話したものだったが、これは、社会だから口角泡を飛ばすことができたのであって、もしこれが「世間」なら、こういうわけには行かない。歯切れが悪くなる。どんよりしてくる。会話にはならない。社会と世間には、それほどに大きな質の違いがあったのである。学生は世間などという気味の悪いものがイヤだからこそ、社会を持ち出して元気よく発散したのであった。
社会と世間については、自覚して問題としたことはなかったけれども、今日まで、生きるテーマの重要な一つとして続いていて、むずかしい。
3月9日 日 大熊先生の講演 いままでの治水、これからの治水、
昨日は、何ヶ月ぶりかで、飲み屋へ行った。なかなかはやっていて、ほっとする。店に客がいなくてシイーンとしていると、気分がめいってしまう。十時過ぎにこの状態だと、待つ店の者のことを思って陰気になる。
隣りに、道路等の防壁工事の親方がいて話が弾んだ。なんでも、特殊技術のフランス工法で、フランス系の会社らしい。一時間ほども話すうち、つい飲んでいるのを忘れて飲んでしまい、急に酔ってしまった。すると頭がいかれてしまう。
で、朝、川掃除に起き出せなかった。
十二時にツネマさんに呼び出されて、出かける。下呂町民会館へ。カミさんは、同じころ、下呂観光会館へ、カラオケ大会の見学に。二人同時に別のところへ行くことなど、めったにない。
会場には五十人ほどで、ビックリ。百人はいると思ったので。第一回のときの盛況のゆえにそう予想して当然なのだが。大熊孝先生も、五百人ほどと期待しておられた様子。
しかし、講演はすばらしかった。目がさめる思いがした。つまり、了解できたのである。先生の思想が、住民会議でやってきたことと重なったのである。住民会議の成果である。
ぼくは、Bグループのスピーチをやることになっていたが、講演を聞いていて、喋ってみようとする内容に自信が出てきた。縄文の話が点火してくれた。で、アユかけ人生のことを、ごくかいつまんで、子供のころから話した。そして最後に、悪くなる一方の川に対して、その重要原因の一つが、どうやら土木学会にあるとわかったので、そのことを言って話を切り上げた。土木学会がどうかしていると。企業や政治がどうであれ、学会は、一歩も二歩も先を歩いて、警鐘等を鳴らさなければならないからだ。
この講演は、五十人ではもったいなかった。残念だった。前の講演会のときからすれば、格段によかった。このことがわかっていたら、声をかけたのに。残念だ。
この人には、住民本位に立とうとする根本姿勢がある。これがすべてであった、すべてを語っていた。
いま、先生が新聞に連載された文の三割を後ろから読んだ。頭がすっきりしてきた。
大熊孝先生の紹介文は次のようになっていた。
「専門は、土木史と河川工学ですが、主に川の歴史を中心に自然と人や社会の関係性を研究し、それらの間にこれからどのような共存関係を創ったらよいかを考えています。今最も興味があるのは、近代的技術によって川と人との関係が分断されていった過程と、その関係をもう一度豊かにする方法であり、具体的にどのような河川構造物がそれを可能にするかを探っています。」
3月10日 月 三月定例会
また寒さがぶり返した。風がきつい。きのう、新潟からいらっしゃった大熊さんは、こちらは寒いですねえ、と驚いていた。あちらは、雪は多いけれども、突き刺す寒さではないようだ。
今日から、二十日まで三月の定例議会。
管理課長の予算説明に対して、始まる前に、簡略に頼むとの不規則発言があったので、僕は、意気込んで、いや丁寧に頼むと声をかけた。ところが、どうにも我慢できずに、数分居眠りをしてしまった。ばつが悪かった。けれども、居眠り後は、頭が軽くなってしまった。学校の授業を思い出したよ。
一般質問をいまつくった。質問の字数を少なくし簡略にした。で、三つだ。
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1, 新市に向けての町長の基本構想は? 2, 保養地の組織・運営について構想は? 私の知った限りでは、この種の施設の成功率は、数パーセントである。成功を願っているが、しかし、当初以上の負債を背負ってはならない。その点の対処についてはどうか。現状をききたい。(答弁者:町長、保養地課長) 3, 中呂からとってある岩屋ダムへの導水についてききたい。 益田川の水をあちらにもっていくのは、やめにしたいものである。益田川の水量が少なくなって、川としての命を失ってきている。契約の変更等をして、益田川の水を元に戻していきたい。契約の変更の可能性等についてききたい。(答弁者:地域整備課長) |
一般質問の提出期限が、正午までだったので、学校へ行く前に役場へ寄る。
すぐ学校へ。卒業式は、昭和三十二年(1957)以来だ。
校長室が控え室になっていて、定刻九時十五分、来賓で一杯だった。昆布茶を出された。めでたい日のしるしである。
卒業する生徒は、八十二名で、僕らのころは、五十人学級が三つあった。だから、百五十人ほどが卒業した。くらべると、淋しい。
体育館の中にちょこんとかたまって人がいる感じだ。
始まったのが九時半で、終ったのが、正午少し前だ。この日は猛烈に寒くてまいった。ガスストーブの効き目はないが、その赤い色で暖かい気がするのみ。
はじめから終るまで、合唱につぐ合唱。二時間半を、皆寒さに耐えた。生徒だけは、どってえこたあないだろう。こっちはジが悪くなるので、たまに尻を浮かして、手を当てて血流に気をつけた。
生徒たちはよく訓練されている。
この生徒たちの現状はまったく知らないが、四十年前を思い出した。
大学に付属中、高校があって、まあ早い話が、実験校なのである。そこで、一週間、教育実習の時間を持った。終ったあと、我々は集められて、感想を言えといわれたので、ぼくは、生徒が飼いならされている様子でおかしいんじゃないかと言った。おとなしすぎて気持が悪いと言った。ずいぶん横着な発言だったが、ふとそのことを思い出したよ。
僕は、時代に沿っていて、卒業に涙はなかった。就職する女子たちは悲しかったようだが、僕は、人の事はわからない。自分のことばかりを思っている。ただただ、高校へ行くのが待たれた。なぜか。萩原劇場で映画が自由に観えるからである。卒業時、そのことしか頭になかったな。
3月12日 水 冷え バッテリー 県議会 講演
きのうの卒業式がこたえた。朝になっても体が冷たい。暖かくならない。シンから冷えてしまった感じだ。カゼ気味になってしまった。ぼんやりして力が出てこない。例によって布団の中にくるまっている。活字を見る力が出てこない。たまにぼんやりテレビを見る。
連絡があったのをいい幸いにして、夕方、目をさますためもあって車で、デジカメのバッテリーをとりに行く。バッテリーが切れるのが意外と早い。バッテリー容量が切れてはカメラではなくなる。バッテリーとカメラは一体だ。
予算書を少し読む。ようしたもので、頭がはじいて読む気がしなかった分厚い予算書の数字オンパレードが、意味あるものとして身体にはいってくるようになったよ。一年目は、自分たちの関わらない数字ばかりだから、愛情というか、その気になれないとしたもの。今では、こんな数字は知らないよでは済まされなくなっている。
そうだ、昼、うつらうつらしながら、岐阜県議会の中継を聞いたよ。前なら、こんなもの、まったく聴く気になれなかったが、ようしたもので、聞き耳を立てている。こちらは、朗読のオンパレードだな。質問者も答弁者も。やたらに急いで朗読している。小学生のとき、椅子から立って、国語の教科書を朗読したのに似てなくもないな。これも、慣れと時間で、聞く言葉が、羅列ではなくなるはずである。楽しみにして待とう。
鈴木氏よりメールがあった。
大熊さんには、立派なお話しにあれきしの聴衆で申し訳なく思っていたが、いろいろためになる講演旅行と言われていた由、ほっとしたよ。
県の行政マンに元気が感じられなかったのが気になったそうだが、やはりそんなものかと思うしかない。比較を知らないので。僕らは、あれはああいうものだとするしかない。
「生徒たちと川」が、今後の残された、あるいは唯一の鍵かも。
3月14日 金 庁舎の位置
この五日に開かれた名称と位置小委員会において、庁舎位置を下呂と萩原に置く案が出された。例えば、二年ごとに交代すると。昼、その様子を議長に電話してきいた。
結果については、つまり、どちらに市長がいるかについては、新市長と議会で決めることになる。特に新市長の意向が反映されるであろうと。そのことについてまでは、現段階においては決められないことだったと。決めたら、また決裂するからである。
下呂も萩原も、会議の席を立ってしまわずに、粘り強く新市に向けて取り組んできたが、いよいよ、かなりの決定をしなければならなくなった。この二十五日の協議会がその日になるだろう。また、十八日の合併委員会では、萩原町は、重大結論を下さなければならないだろうな。
3月19日 水 疲労困憊
今、夜中の三時。夕方から、気は焦るんだが、思うように体がついてこなくて、不快な気分が続いた。で、寝てはいけないと思いつつ寝てしまった。体から来る不快だ。休めの信号に違いないが、そのあたりの判断も変調になっている。体調の変は心の変にもつながるが、さすがに、長年のキャリアがまだものを言って、バランスを何とかとっている。バランス力がぎりぎりに来ていることがわかる。
十七日には、十一時過ぎに一般質問一番バッターだったが、内容が合併、保養地、川のことと、自分にとって急所に触れることばかりだったので、緊張に追い込まれていたのだろう。話すうちから、ノドが乾いて、喋りにくくなってしまった。こんなことは初めてだ。昼食は何とか少し口にしたが、目がくらんできたので、いったん帰った。車の運転が、目がちかちかして危ない。十分ほど横になったが、なおらない。だが、役場へ戻る。席につくと、またくらくらしてきたので、仕方なく、議長室で横になる。一時間ほど休んだが、平常に戻らないので、送ってもらって帰る。役場の保健婦さんなど、厄介になった。助かった。帰ってから眠りに眠った。夕食中に、珍しく太郎から電話がある。四月になったら名古屋へ、一度出かけたいと思っていると言う。名古屋駅タワーも知らないので。
十八日は、全協と合併委員会。二日続けての、濃密委員会で、くたくただ。若い議員すらも、まいったと言っていたよ。だが、彼とはもともとの馬力が違うからな。年回りで、正面に立つ役割とならざるをえない。
ゆったりできない。ここずっと、異常なくらいの集中ぶりだったが、休めの信号だな。書類やら本やらが追いかけてきて緊張がとれない。旅館が忙しければ、身体を使うのでいいのだが、ひまでひまでまいる。
気になっていたメールの返信をすます。これも、軽くない。
下呂の事が気になる。街区の彼らは、こんなふうに思っているんじゃないかな。私らの世界はあんたらにはわかりませんよ、と。で、わかりあえないのだから、それぞれの道を行くのがベターなのだと。それならそれでいいのだ。お互いのためだ。
3月20日 木 ひまわり賞表彰式 大熊教授の講演メモ 定例会終了
表彰式は、十九日七時より星雲会館で。平成二年より行われている。表彰された者は、今回をいれて、313名となる。対象者は中学生・高校生。その模様等については後ほどアップする予定。
講演メモをアップした。小冊子がすばらしい出来のもので、中学生・高校生から読める。そのように書いてある。我々の生活は川抜きでは成らないし、また、川はもう自然の賜物ではなくなっている。空気、水等と同じに。
朝の全協で、イラク問題と、三割保健に関する請願書について、その経緯の報告等がなされた。さらに、午後、本会議を中断して、また再開ということがあった。ここでは、その内容については書かないが、もっとすっきり処置しなくてはいけない、というのが第一の感想だ。議会事務局が、事前に不備等を察知して処置しておくべきなのだ。司会の議長の持っていき方を見ていると、事を好む感がある。これはよくない。枝のほうへ話が行っている。請願者、紹介議員、事務局でよく成り行きを交通させればよいことなのである。紹介議員の不備についても、今後において、事前に防ぐように手立てをしなくてはいけない。町議会の事務局では、十全は望めないかもしれないが、初歩的なことについては、やっておくべきである。その上での問題なら、そこで「事」となる。
五時半からやまとで課長たちとの懇親会。九月以来だ。この日、くじの席順が、産建課長二人に挟まれた。二度とない幸運であった。かねがね、産建の両課長とは会話したいと思っていたので。すると、向うもそうであったから面白いものだ。
川の課長とは、住民会議等で話す機会もあったが、産交課長とは、そういう機会がなかったので、初めて、話した。彼は、率直に語るところがあり、こういう職員はめずらしいんじゃないかな。で、勉強になった。自分のほうが、まあ、ようやく、二年が過ぎて、この世界のことが少し見えてきたということなのである。見えてきたから、話せるようになったということ。チンプンカンプンな者とは、あぶなくて話せないからな。両課長は、率直なところが気に入った。総文関係は、事の性質上、どうしてもねちくりしてしまうのだろう。
3月23日 日 披露宴 消防団入団式
二十一日は、下呂のパストールで、隣りの基尚君の挙式・披露宴。四時に始まって、帰ったのが九時半だったか。異例に長かった。南中の橋本先生の同窓生が張り切った。このグループは、元気がある。先生もそのように指導していたのだろう。
御近隣として出席した。中野さん二軒と丸五さん憲ちゃん、そしてリンテンさん。全部で百人。新婦は大垣のひと。柔道選手。釣りが好き。たのもしい女性だ。
二十二日は、テレビを遅くまで見ていたこともあり、昼間ぐったりだ。披露宴の模様をアップがやっとだった。
結婚とは、と、そのときは書いてみるつもりだったが、いまになってはその馬力が消えてしまっている。とにかく、全体に馬力が出てこない。困った。馬力がないので、なんとなく追われるように忙しい。頭が。
今日は、八時半より、朝霧グラウンドで町消防団の入団式。二十数名の入・退団者があった。区長さんと一緒に列席。快晴。だが寒さがこたえた。北の山々には雪が見えた。
帰ってから寝てしまう。いま、二十四日一時だが、これから少し、本を読む予定。少しとは、体力がある限りの意。
3月24日 月 人事
イラク戦争にはまいる。速やかに事が進んでくれることを願っている。アメリカの強引さが裏目に出て、混乱しては困る。バグダッド市街戦など、大変だな。
二十一日の披露宴で、近所のほぼ同年輩の人が(彼は、宴の終わりごろは、ほとんどうつらうつらしていた)こんなことを言っていた。
朝、車で、可児市まで行って(一時間半)仕事をすませて、そして、四時の披露宴出発に間に合わせた。このごろはずっと、帰りは夜十時で、土曜日は休めないのだと。大変なことだな。気力体力知力が要る。
昨日、今日と、二ヶ月ぶりで歩きに出かけた。必死に歩く感じだ。頭のほうも反応が鈍感になっている。だが、中途半端だな。で、入力に力が入らない。
入れてみよう。
役場職員氏の人事異動の内示ファックスが事務局からきた(発令は四月一日)。交流課長が保養地課長となる。正念場の経営に関ってきたので、この移動があったとみる。前任者は、古巣の管理課長に戻る。彼は、とても、経営感覚の者ではなかった。総務びとなんだろうな。交流課長は、牛を成功させたが、次の課長は、総務畑の者で、前任者のようにはいかないだろうが、新規のプロジェクトはないので、大丈夫なのだろう。中心は、保養地だ。
しかし、新交流課長は、山や川や産業のことなど、大丈夫なのかな。ちょいと心配。
たびたび登場願った因縁の管理課長は、生涯学習課長に。たましいを休めてくださいということかな。
二年間のうちに、交流産業課長、保養地課長が入院した。一年前の秋だった。のんびりと幸せであれば、病気にはならないので、かなりのストレスが続いていたのだろう。みんな新地での活躍を祈るよ。
九時より、萩原小学校卒業式。去年に続き二度目。合唱卒業式だ。南中もそうだった。
四五十年前の僕らの頃は、全体に素朴だった。いまは、そのほとんどすべてを覚えていない。覚えているのは、褒美というものがもらえなかった悔しさだ。三年生から、この制度がなくなったので、自分を規定するものがなくなったのでありがたかった。僕は、当時から、外部規定というものが嫌いだった。規定されて、突き動かされるのがしゃくにさわった。だから、内部の自立とか自信とかができないものかと、小さい頃から思う傾向にあった。このノイローゼ的なこだわりとおびえは痼疾となっている感じだ。だから、本当は余裕がない。あるような振りをしているだけだ。タフがうらやましい。でも、タフすぎるのも、あつかましくてイヤだが。
「議会だより」のことで、役場で、三人で打ち合わせ。反対討論をした人が、うっかり賛成に手を挙げてしまったので。
二時より、県庁舎で、合併協議会。諸々の議題のかたがついた。残すは、庁舎位置と名称のみとなった。これは、継続審議となり、次回あたり、結論に近づくか。名称は三候補に絞られている。庁舎を二年交代とする案には、下呂は否決した。萩原では継続審議としたが、中身は否定傾向だった。
今日は、協議会の雰囲気が、前回に比べて明るかった。
新市まちづくり計画の『煌』の、最終校正済みが配られた。四十数ページだ。今度は、何とか読みきらねばと思うが。体力知力にねばりがなくなって、困る。本等も追いかけてくる。余裕がない。懐はとくに困った。
3月26日 水 直言 図書館 導水管 ADSLとデジカメ画像 イラク
今日は、久しぶりに、外へ出たので、新しく学ぶ事々があった。ウツ傾向があらたまる。
はじめは、書類。きのうの『煌』を半分ほどまで読む。これは、文の整いに関する限り上出来だ。たいしたものだ。中央ではなく、地方でこのようなものができることに驚く。
カミさんが、体調が悪いらしく、午前中、ずっとこの部屋にいた。二人とも、ぐっすりしている感じだ。
昼近く、店にいると、久しぶりの客がきて、二十三日の「披露宴」のリンクがおかしいと指摘した。すぐ調べてみるとそのとおりだった。直す。この人物は、その他に直言してきた。すぐ弁明したけれども、ありがたく受けた。
図書館へ行き、『続・一冊で日本の名著100冊を読む』を返す。同時に、続ではない最初のがあったので借りる。この本は、千二百円だが上出来だ。文が念入りに出来上がっている。
館員氏が、このシリーズの、「世界の名著百冊…」と「日本の古典百冊…」を各一冊ずつ買う予定だと言ったので、値段の割には、よくできているし、それはありがたいとすぐ賛成した。このシリーズは、人気があるようだった。
メールの中に、このあいだの大熊教授の講演に関係して、川の蛇行のこと、山の広葉樹のことなど、鋭く指摘しているものがあった。
漁協へ行き、中呂の岩屋ダムへの導水管のことなどきく。こういうことは漠然ではいけないとためになった。話の途中で帰ったので、続きをききに行くつもりでいる。地域整備課へ行ってきけるだけの基礎ができたので、これも、四月になって、落ち着いたところで出かける予定。事が事だけに慎重を要するが、国の方向からして、環境方面については反省実行期にはいっているので。川を活かす会の関係もあるので。
夜、コメヤさんのお宅を訪問して、新しいパソコンとADSLを実見する。画像も早さも見事見事だ。デジカメのデモ写真のサイトを探して開いてみたが、その早いこと、鮮明なことに、びっくり。デジカメを検討している人には、ADSLはすばらしい。キャノンの、三百万画素で三万円以下の機種の画像の出来には驚いた。そういうことがたちどころに実見できる。
イラク関係テレビ映像は、不快である。アタマの具合に悪い。人生悲観傾向が増す。閉じこもっていると、さらに悪影響。外へ出て、気の合う人と話すのがいい。
3月27日 木 萩原町教職員離任式 合併 写真ファイル 病院
気温が上がり、春めく。冬が抜けた感じ。長い引きこもり。それを利用してのお勉強。政治は待ったなしなので、いつも緊張を強いられている感じ。だが、人生、これが普通なのだろうが。
八時に萩原町教職員離任式。約二十五名が参列。議場で。
萩小の山田啓子校長が退職。この校長は、清新な感じを与えてくれた。女性校長は僕には初めてだったが、メリハリとやさしさが同居していて斬新だった。この人は、萩小に四年間勤めたそうだが、きっと新しい風を吹かせたに違いない。
終ってから、議長室に、出席総文委員と議長・副議長が集合。合併の進展状況について報告を受ける。また、意見を求められる。ふん詰まりがやや動き出しているかに見えて、ほっとする。
九時半に帰る。カミさんは、病院へ出発していていなかった。
で、コメヤさんに行き、昨日約束していた、カードリーダーとPCアダプターを持参する。アダプターでカードから、写真フォルダをハードデスクに取り込むこと、それを基にして、ファイルを作るのを実演した。その際、ウェブアートでサイズを小さくするのをやって見せたが、彼は、頭に入ったと言った。僕の経験からすると、初めての場合なかなかすっとは覚えられないものだが。写真のリンクを期待して待つ。
それから病院へカミさんを迎えに行く。行くとまだ診察が終っていなかった。病院では、花粉症まじりと判断したようだ。帰って、一時ごろから、八時過ぎまで、二人ともぐっすり寝てしまう。老いと冬の疲れか。その間電話を三度受ける。ふらふら覚醒で応答する。
3月28日 金 (地総債 活性化債) 念仏
初めに硬い話し。岐阜県町村会報の『きらめき』三月号を読んだ。ふだんはざっと見るだけで、読むことはまずない。今回は違った。最後のページのぎっしりの活字を読んだ。前なら、とても読む気にならないもの。読んでも解らないもの。それが、解るようになっているのである。これは、重要だと思えるようになっている。三年目にして政治プロ初歩に踏み出しているということだな。その記事は、役所の者や、土建業者等の関係者しか関心を持たないはずのものだ。もっとも、この二ページを読むのに、休み休み一時間以上かかったか。
見出しは「地域活性化事業債の制度解説」。書いている人は、市町村課振興室企画担当主事となっている。
地総債(地域総合整備債)と活性化債(地域活性化事業債)。
前者は、昭和五十三年に創設され、平成十三年度に廃止された。
後者は、平成十四年度に創設された。つまり、現行である。
地総債には、(三十から五十五パーセント)の交付税措置率が充当されていた。四美の温泉施設は、これに間に合わせた。つまり、地総債の適用を受けた。
こんどの活性化債は、ハコモノが原則対象外となっている。全体に、地方には厳しくなっている。地総債適用の時代は去ったということである。合併をして、経費削減を実行していかなければならない理由がここにある。緊縮財政と工夫財政は避けられない。というより、この巧拙が、当の市町村の幸せのキーを握っているのだと言っていい。たのんまっせ、役場さん、市役所さん!!
次は、がらり内内の話。
カミさんは、今日も寝込んでしまって起きてこない。自分は、ずっと夜起きていて、昼頃我慢できずに寝てしまった、夕方まで。カミさんも、ようやく起きてきて、一緒に飯を食う。あの人がどうのこの人がどうのと、例によって頭の痛くなる話をする。グチ話。聞く。彼女は慢性病を抱えており、また、バランスのとり方が悪いので(ヒス等に現れる)、辛抱して聞くようにしている。寝込まれてはかなわんので、精神状態がよくなるようにと配慮してアイヅチを打つようにしている。要するに、二人とも欠陥人間なのである。昔の左翼流に言うなら、社会が悪いせいでこういう人間が出来た。
その欠陥人間が、体力を失ってきて、老になってきて、自分で自分の始末が出来なくなってきた。まことに不安である。それでも、死ぬまで生きねばならない。どのような死が待っているか解らない。マネー逼迫なので不安である。
念仏ということを思う。
イラクやアメリカやイスラエルの人たちは、神の国に行けることを思って死後に希望を持ち今を生きるという話だ。僕などには、その神がわからない。でも日本人なので念仏なら、なんとなくわかる。無力な者に近づくにつれ、念仏のありがたさがわかる。なみあみだぶでおまかせ。先行きのことはわからない。なみあむだぶであきらめばんざい。
ややっ、朝までナマテレビをやっている。こりゃ寝られないか。見ながら寝るか、寝られないか。
3月29日 土 『ニルスの不思議な旅』 金子光晴
土曜日の楽しみは吉本喜劇だ。笑う。めったに笑わなくなっているので、声を出して笑ってしまうのが気持ちいい。笑いのときは極楽だ。
その前に、不思議なテレビ体験をした。十時頃、チャンネルをまわすと、『ニルスの不思議な旅』という漫画をやっていた。漫画ではなくて、これはなんと呼ぶのか…わからない。新聞のテレビ欄を見ると、最終回となっている。見ていてだんだん切ないような不思議な気分になってきた。
『ニルスの不思議な旅』は、小学校の一年か二年の頃、先生に読んでもらった。このことはずっと忘れられない思い出として生きつづけている。画面を見ながら、そういう事だったのかと納得した。アッカとモルテンという名を思い出した。アッカは、優しく凛々しい雁だったが、中年の雌だったのだ。
作者は、人間の横暴に対して、批判を込めたのだった。動物も植物も、生き物たちみんなにとって、地球は平等なものだと。人間だけのためにあるのではないと。ニルスと動物たちとの交流を見ていて、ニヤリとしてしまったが、苦いような甘いような背中が寒いような笑いに引き込まれたよ。
暖かくなる。室温が十度を越えている。春がきたのだけれども、体が、かつてのように喜ばない。張り切らない。浮かない日々が続く。けれども、取り組まねばならない、書類・本等がいっぱい。能率が上がらないが、いつもなんとなく頭に課題があって緊張しているのは変わらない。不安も変わらない。イラク関係はこれをつのらせる。世界はぎしぎしときしむだろう。一攫千金をねらう馬力ある者には楽しみだろうが。
昨日は、午前に「共寿」へ。痴呆専門棟の竣工式。大垣共立銀行が主役としてきていたので、これは、事業としてうまみのあるものなのだろう。
議員団は、祝儀としてそれぞれの分をまとめて持っていった。
この共寿では、主役は、萩原でも、益田郡でもない。大垣のあたりの事業家がやったもの。だから、この祝賀会は、僕には、毛色の変わったものとして映った。会場の料理、人員、太鼓等は水明館が請け負ったのだろう。元公明党代議士の石田氏がきていたので、この設立者は、その関係の人かもしれない。
ノンアルコールを皆で飲み、あっさり帰る。それでも一時に近かったか。それから、一休みして、妙覚寺へ。来賓招待状がきていたので、檀家ではないが行く。招待された議員は、四人で、出席は二人だった。
こういう席は初めてでとまどった。これは、法事なのか、祝い事なのか迷った。行ってみると、男たちは、白ネクタイをしていたので、祝い事なのだった。しかし、女たちは、法事服装だったな。僕は、黒ネクタイで行ったが、場違いだった。確かめるべきだった。一万円をつつんだが、その封筒にどう書けばよいのかわからなかったので、カミさんがあちこち聞いてきて、香儀、とした。これでよかったのかどうかはっきりしない。
受けつけた後、後ろから参列するつもりで、本堂へ向かうと、呼び止められた。高村さんが来ているので、その隣りに座ってくれということだった。渡り廊下から入る。横の入口に、鈴二さんがいて司会をやっていたので驚く。
町長の代わりに助役がいた。三区の区長さんがいた。焼香が、助役、高村さんの次だったので、なるほど、そういうことなのかと仕来たりを納得する。
共寿のノンアルコールのせいで、トイレに行きたくなり、もう我慢が出来ない、震えが来たところで式典が終った。三時を過ぎていた。
三時半からは、有馬理恵さん主演の一人芝居があったのだが、あわてて帰る。ちょうど、出たとき、本堂の入り口のほうで、鈍い妙な音がしたので、振り返ってみると、誰かが倒れていた。後で聞くと、たいしたことではなかったとのこと。よかった。単にひっ転がったらしい。頭か心臓の何かが起きたのではとビックリしたので。
受付で渡されたパンフレットには、次のようにあった。
蓮如上人五百回御遠忌法要
付 妙覚寺創立五百年記念法要
歴代住職寺族追弔法要
門信徒物故者追弔法要
本堂屋根葺替落慶法要
開祖親鸞上人は、どうして出てこないのかな。
昨日三十一日は、午前中、休み休みだが、『地方議会人』三月号の特集「NPOと地方公共団体」を読む。四論文のうち、二つを読む。中身が、読み物と違うので、頭が疲れてしまう。赤ボールペンを引き引き読む。NPOのおおよそがわかってくる。しかし、実物を知らないので、具体象が出来上がらない。
確か、こんど、痴呆性老人のための介護の家が出来るということだった。健康福祉課からそう報告されていたが、これが、NPOにあたるんじゃないのかな。いちど、健康福祉課へ行って聞いてみよう。
午後から、思い切って、タイヤ交換をする。説明書を読みながら、道具を出して、やり始めると、リンテンさんと顔をあわせた。しめたとばかりに、聞きに行く。プロ、先達だからな。すると、車のそばまで来て、いろいろ、やって見せてくれた。細かく注意してくれた。ありがたかった。なんでもないことが、素人には出来ない。どの道でも同じ。
ノーマルで乗ってみると、あたりがやわらかくてらくだわい。
乗って「むげん」へ行き、カメラ雑誌を見る。その写真を見る。写真は、字ではないので、頭が休まる。つぎに、パソコン関係本を見る。『超図解無料でつくるホームページ入門』を見ていると、JavaScriptの記事で、時間ごとにあいさつ文を変えるところが気に入った。買う必要のない本だが、その部分のみのために買う。千六百円。帰って、さっそくHTML入力してみると、ちゃんと出る。時間ごとに変化して出るか、数時間後に見てみると、ちゃんとそうなっている。
4月1日 火曜日 初老!!
昨日は、朝の四時頃に起き出して、パソコンに向かった。日記等を書き上げるのに、どれくらいかかったか、二時間はかかったか。だが一銭にもならない。カミさんが体調悪い。すべては不景気のせいか。そうだろうな。頭ばかりがぐるぐるして、身体をつかわないので、体調が整わない。すると心の方も変になる。すると念仏を思い出す。
手前勝手な念仏だと、親鸞さんは呆れるか。違うと思う。『歎異抄』は、それでいいのだとまことに優しげである。けれどもこの本は、合理性に徹していて、迷信等の奇妙なところがない。この本は、本願寺系の現行教団を破壊させてしまうよ。親鸞・唯円と教団が別のものになってしまう。
朝のうち、ヤンキース戦を見る。見ながら、NPO法人について読む。
午後、漁協へ行く。事務員女史が、すぐお茶(orコーヒー)を出してくれる。おもてなしをされている感じで、気分がいい。所長は、花粉病とかで浮かぬ表情だが、入漁券売上が伸びていないからかも。すると、彼は、僕の表情がさえないのを察して、丸く応対してくる。三人の中では、事務員女史が一番さえている。今日は、うらやましいなあと思ったよ。
ファックスのインク用紙が切れていたので、買ってきてかえる。うまくいかない。また、リンテンさんに助けを求めに行く。不調部分を持参する。すると、すぐ段取りをつけて、直してしまう。ありがたい。
思いついて、初老、をYAHOO検索してみる。四番目に出てくる。45,200のうちの四番目なので驚く。登録はしていない。このサイトを見にくる人は、カウンターでは、常連二十人くらいだろう。変わらない。増えないのだが。
付近の初老サイトを開いてみると、こって立派なものだ。自分の日記サイトが、貧乏くさくてひねこびているので、またまたコンプレックス。だが、田舎発のさえない初老サイト方針は変えるつもりはない。意地だ。意地狂いだ。よう耐えられないが意地地獄だ。
4月3日 教職員着任式 県議ポスター うどん
九時より教職員着任式、議場で。最後に行ったので、これ幸いと端の席に座った。写真を撮るのに都合がいいので。だが、真中の者が席をあけて、替われと立ってきたので、やむなく真中の席につく。で写真が撮れなかった。席を立って入口まで行きにくいので。目立つので。席は、肩書きと年齢順になっている。
終って、みな、議長室に呼ばれる。駒田議員のポスター張りをそれぞれが頼まれた。承諾。大野議員のときもそうだった。ついでに、合併の質問が出たので、議長はざっと説明する。みな、冷静に受け止めていたようだ。詳しくは、合併委員会で報告があると。
終って、すぐ帰る。体調と頭調が今ひとつなので、部屋で落ち着かない。カミさんも、生活習慣病が思わしくないので元気がない。外がぽかぽかするしで、落ち着かない。江原へ行って、昨日の中日の話しをする。
表へぶらぶら出て行くと、ちょうど議員の車と出会う。乗れという。変な格好だったが、まあいいやと乗る。ワークマンへ行くところだと。初めてこの店に入る。中は広くて、服等がものすごく並べてある。店員は一人。昼になったので、出てから、何か食べようと、ジョイフルへ入る。うどんにする。二人とも、少食。だが、彼は、年長だが、馬力根性等、とてもかなわない。
三月議会の予算等の話しをする。ようやくこちらが少し理解できる段階になった。マイサイトの中の、地総債、活性化債について、ためになったと彼は言った。喜ばせたのである。
さっきの着任式から、先生の話になった。僕が、山田校長の退職の話しやら、演説・講話がうまいと言うと、彼は、すぐ、現場の先生というものは、生徒に熱心で話は下手なものだと言った。言外の意味は、管理職に行く連中は、外交に精を出すものだということ。生徒か外交かということ。彼は、現役の頃、二十年ほど、辺地の分校に勤めた。だから、その点については、筋金入りなのである。突っ張りつづけなければならない。生きる張りである。けれども、この背後には、この国の社会ではなく、「世間」がある。「世間」とは唐突であるが、人生上のキーとなっている。
四日、午後四時、議会だより委員会が終ってから名古屋へ出発。小雨。この旅行では、体力と頭の働きが鈍っていることがわかった。体力も頭も余裕がない。だから、変な失敗が続いた。道を間違えて、大江の三菱の工場へ行ってしまい、その守衛で聞いた。向うもビックリしていた。思い込み間違い。間違えるはずのない間違いが起きている。老人だ。
トイレがやたらに近くなった。病気があるのかもしれない。
今日、日曜日は、朝九時に諏訪集会所へ。萩下寿和会総会。来賓として挨拶するように言われて、喋る。すこしは慣れたが、話しに、ユーモアがほしい。堅苦しすぎる。ここは、やわらかい場なのだから。
4月8日 火 「現在高」
六日の寿和会で、来賓として話しをするようにと言われてした。二つのことが頭にあった。で、萩下のことであるし、また頭に余裕がなくて、型通りの挨拶をしなかった。いきなり本題に入った。型通りに弱い。
寿和会は、今年、四十周年になる。四十年前、二十歳の頃は、老人というものがわからなかった。わかっても、知識として知っただけであります、と言った。それから、気分を明るく、新しくするには、親しい人と会って話しなどするのがよいと言った。
今日は、一日中ぼんやりしていた。こないだの名古屋行きの疲れか。
で、政治関係のものは読まなかった。「老い」についての随筆集をぱらぱら読んだ。身につまされて読んだ。
その一つが幸田文の「現在高」。幸田文については、四十年以上昔に、国語の教科書で出あった。父露伴から、掃除を厳しく躾られる文であった。なぜか、その事が、印象として強かった。普通は残らないのだが。
六十歳前後、老年の自覚時には、自分の「現在高」について知ることが肝要である、というのがテーマだ。若くはないので、その身の程をしっかり自覚することから出発せよと。気分がよくないが、ここは避けてはいけないと。考え方、生き方をはっきり変えよと。また自己中にならないように、天からくだされるものを自覚せよと。「老いの自覚があったら、ともあれ、体力能力気力、その他一切の持ち物の、現在高を確認すること、その上で何なりと選ぶ道をきめることです。」
九時半、星雲会館前駐車場を出発。三キロ先の水洞平着。かなりの広場になっており、あずまや(休息所)も造ってある。記念植樹十本。
この日は晴天だが、寒い。みんな厚着。
神事が終った後、さらに一キロ先の登山道まで小型バスで行く。頂上までは、ここから2.5キロ、三時間と立て札に記してある。
日帰り登山にちょうどいい。地元の人にも、旅の人にも勧められる。
昭和三十四年(1959)ごろを思い出す。クラスで計画して登った。早朝に出発して、帰り着いたときは暗かった。
4月11日 金 西フロリダ大学 都竹伸政展
暖かくなってきたが、くしゃみが出るし、目がしょぼつく。頭がしっかりできない。へまをやってしょうがない。集中力が続かない。
朝、役場へ電話して、地域整備課長に、議会だよりの原稿を確認してくれと頼む。彼の答弁部分。テーマが益田川の水のことで、事が契約等にかかわっているので。
一時に、議場へ。ペンサコーラ市の西フロリダ大学から新旧の学長が訪問されているので。
両国国旗が立てられており、通訳によって交流。これは初めての経験だ。つりあわないのが気になるが、逆に長所か。この人たちには、威厳がそなわっており、我々の方は、いたって庶民的である。
終ってから、れんへ寄って休む。客は自分ひとり。ウエイトレスが、久々野、渚方面の出ということで、それをテーマに話す。あちらから来ている人たちは、皆さんたくましいねと。彼女は、すぐ、そうだと言った。
いったん帰ってから、都竹伸政展を観にいく。課長には、さっきの西フロリダ大学のことと、合併のことをきくために。
都竹さんとは、初めて会う。好々爺である。芸術家風のくさみはない。
九十歳ということだが、展示してあるここ三年の絵は、みずみずしい。迫力には欠けるが、描く楽しみが伝わってくる。描いた人、精神、が絵に満ちあふれている。
夜、大失敗。残念。都竹さんたちを撮ったまたとない記念写真を、うっかり削除してしまった。
4月13日 日 祭り常会
昨日常会。新旧組長・会計が交代。二年連続して、四十代の組長。前組長は、組入りして十年にならない。慣れないことで、大変だったが、よくやってくれました。
三十前に萩原へ帰ったので、以来三十年が過ぎた。組長は三度、大組の祭り当番は二度やった。来年は、三度目をやることになる。
新組長は、組活動の改革案を出した。高齢化で、人員が少なくなったためだ。会計の仕事を少しでも減らそうということ。隣組は、ここよりさらに人員が少ないので、組成立の瀬戸際に近づいているよう。
改革案には、普通は、否定傾向が強く出るが、今回は、会計さんの事情を考えて、三ヶ月に一度の組費等の回収を決めた。
新しい風が吹いてきている。我々の世代が中心になってきた。と言っても、六十にちかい。けれども、我々の感覚が新しいので、さらに若い世代が、伸び伸びしてきた。
大切なのは、トップクラスだな。ここが、変では、全体がごにゃごにゃしてくる。トップクラスどもの感覚が重要だとわかる。どの組織でも同じだろう。
恒例によって、軽く飲み歓談する。
合併の話が出る。で、簡略に説明する。皆さんもっともだと言う。空気は和やかである。不景気で大変だが、おだやかにしている。下呂については、無理やんちゃには困ったものだという態度。けれども、おうようにしている。「下呂市はおかしい」と。この感覚は、みな同じである。また、下呂が、庁舎をほしがるのはわかるが、萩原は、ずっと役所等のある町なので、これをなくしては、町の基盤がおかしくなる。と、みな同じ常識に立つ。話しがねじくれない。
下呂の姿勢からして、市の成立は難しいかもしれないと言うと、これに対しても、皆さん、おうようにしている。なにがなんでも市にならなければならないという様子はない。
4月16日 火 合併 見舞いに岐阜へ 苗代桜(なえしろさくら)
朝、十時過ぎに出発。出かける前スタンドへ行く。大将と合併について窓越しに話す。僕が、ウーンとうなる。要するに、大変だのシグナルを出す。彼は、挨拶として、がんばってくれと言う。こっちはニヤリとする。それしかない。萩原の主張について、繰り返す。無理を言っているわけではない。が下呂が執拗に頑張る。とまどう。心臓がえらい。
昨日は、議会だより委員会の打ち上げ。あるこーるには気をつけていたが、二次会に誘われて、歌を歌ったころから、浮かれて、エエイッとなって、飲む。気が大きくなる。悪いクセ良いクセ。
そして、朝、少し残っている。だが、ひどくない。ありがたい。で、予定通り出発の準備にかかる。
途中、金山で暑くなる。エアコンの風が心地よい。このお値打ち軽は優秀。よく走ってくれる。安定している。結局、前の車がひどすぎたということか。これは、軽だが、前のより疲れない感じだ。五速チェンジレバーは正解だった。きびきびとよく走ってくれる。変速が気にならない。
長良橋そばで、休息。ファミリーレストラン「地中海」がなくなっている。中国料理に替わっている。とにかくはいってみた。ラーメンを食べてみた。四百円だが、よくできている。安くてうまい。店の傾向としては、「ジョイフル」に似ている。病院へ行ってから、帰りに、僕はうどん屋で食べてみたが、高くてまずかった。「ころ」が七百円。不合格。食べ物界に新しい風が吹いている。
カミさんの兄を見舞ったのだが、変わりようにビックリした、言葉が出てこなかった。彼は、僕を片方の眼で見ている。はっきり見えないようだ。目の病気にもなっているようだ。その目で、僕を見る。必死で見る。言葉が出てこない。かわりに見つめつづける。目が、僕に語りかけてくる。それがわかる。居たたまれなくなって、退室する。カミさんはおろおろになっている。変わってしまった彼との突然の面会に、僕たちはうろたえてしまった。
朝、急に熱が出て、再入院したばかりだった。「闘病」がぴったりだ。大変なことだな。大変な仕事だな。
彼の勤め先は、岐阜県のA銀行だ。バブル期に、名古屋勤務となった。これが彼をまいらせた。ある種の戦病だ。岐阜の自宅を朝七時に出て、帰るのが、夜の十二時に近かった。これを、数年続けた。続けさせられた。確かに給料は良い。だが、それと引き換えに、寿命を縮めた。
この勤務は、いかにもひどいじゃないか。きちがいじみている。企業戦士だ。戦士が、戦場でやられた。弾は飛ばないけど。
帰り、焼石で、苗代桜を見に寄る。役場の職員もいる。婦人会のバザーもある。カメラマンが、四五十人ライトアップを待ち構えている。ライトアップまで待てないので、そのまま帰る。
樹は、樹齢四百年で立派。
4月20日 日 編集余記 失業 『ひだご坊』
岐阜新聞一面の「編集余記」は、ざっと見るだけで、読み直すことはまずない。けれども、今朝は違った。この事の伏線――昨日も漁協の本年度鑑札配りをやったが、そのとき、ある社長の言ったことが頭にあったので。
下区には、社長という者は、数人しかいない。社長といっても、今は従業員数名である。不景気をもろにかぶっていること、大きい会社も、零細会社も同じだ。彼は、零細会社だが、このあたりでは力があるほうだ。我が超零細企業とは、腰の入れ方から違う。その彼が、今年の漁協鑑札対面では、とたんに、ぼやいた。ふだん穏やかな人物だが、悲鳴にちかいことを言った。不景気を嘆くのではなく、怒りにちかかった。いわく、あの竹中が、あの職を兼務することになってから悪くなったと。あの株価の落ちようはなんだと。不平怒り嘆きを通り越して断末魔だと。
怒ったということは、まだ現役ということ。まだまだ、余力があるということ。自分の場合、このごろは念仏ですよ、と言うと、彼は、ぐっと黙ってしまった。
リンテンさんに鑑札を配ったときも、同じような話しになった。二人とも景気の話は避けているんだが、つい出てしまう。で、その時、もう念仏だよ、なんともならないときは、おまかせ念仏しかない、と言ったら、彼は、やはりギョッとして下を向いた。体弱脳弱も嘆いてみせたら、彼は優しくも、俺も同じだとさかんに言った。
今日になって、気分が重いので、義兄のところへ行った。やっぱり、景気の話し、パート・アルバイトの話。彼は、六十代中ごろだが、パートに下呂の旅館へ行っている。ごく最近解雇になった。本職は、建具だが、仕事がないので、雑用に行った。会社は、若い者の方がいいので、若い者を採用しておいて、年配者をやめさせる。失業者がいっぱいいるので、これが平気でできる。
さきの社長の話しでは、高山の職安へは、一千人が失業保険を受けに来ると。大変なことだな。失業率五、六パーセントとはそういうことか。高山職安のうち、益田郡方面の求人一覧を見せてくれたが、百ほどある。下呂の旅館関係が多い。求人百の意味がよくわからない。もっと少ないのではと思うので。
「編集余記」にもどる。まず川柳紹介に始まる。三つある。順に写すと、「いやし系 うちにいるのは いあつ系」、「オーイお茶 次の言葉は 入ったぞ」、「ついに来た 俺も週休 七日制」。三つめの不景気川柳に続けて、記者は次のように記す。
(まる二年になる小泉政権の「構造改革なくして景気回復なし」なのか、それともその逆が正しいのか。政治家や学者のテレビ討論は盛んだが、どこか庶民の生活を素通りしている。他県で事業に失敗、自己破産した友人の手紙に「転職も考えたが、技能のない六十二歳にできる仕事はなく、自殺も他人事とは思えない」と。)
夜中に、胸が苦しくなって目を覚ます。布団の中、四月なのに暑苦しい。先行きのことが、合併も含めて不安不安定。身体も。心も。心が病気の状態。いやな不快な気分。で、夜中、明かりをつけて、朝刊を取りに外へ出る。文字に集中して、バランスを取り戻そうとしてみる。さいわい、興味を惹かれる記事には集中できる。中日が勝ったので、その記事を楽しみに読む。そして、「編集余記」。今朝のにはひきつけられてしまったよ。先の社長が言った通り、連中は、庶民の生活を素通りして発言している。この野郎どもだ。
チラシの一つ『ひだご坊』新聞を読む。この新聞のことは知っていたが、読んだことはほとんどない。読んでも心を動かされなかった。紋切り型としてあった。けれども今朝は違った。イラク戦争、アメリカ民主主義、ハンセン病者、について、戦後の経済・文化の繁栄をのぼせめくらとして批判していた。経済・文化社会が繁栄しているときは、念仏など効き目がない。関心を持たない。マネー文化が心のよりどころであった。それが、おかしくなってうろうろになっている。心の行き場、落ち着きをなくした。
しかし、政治は、集団・経済・物質に行く。そのように「ガワ」をつくろうとする。心などというものには向かわない。人人の自覚に任せてある。けれども、人人の心は、その体制がつくってきたものだ。知らんよでは済まされない。マネー主義一辺倒からの脱出を創っていくのも政治である。
問題は、単純に言うと、庶民からから離れたところで世の中が動いていることだ。上層部の都合で動いている。単純な理論だが、笑えない。体制の崩壊は、それが人々から遊離していくときに始まる。
4月21日 月 漁協 見舞いに 管直人
九時より合併委員会。関心感銘するところがあったが、今はまだ語らないことにする。いずれその機会があるだろう。
終ってから、地域整備課長に面会し、道路等の整備事業等で、金子さん藤井さんからの報告について訊く。産建の内容についてはわからないので、ごく初歩をとりあえず訊いた。面会すると、なるほどとおおよそが解ってくる。文書を読むだけでは、そこに字があるだけである。ふくらみがない。
昼少し前に帰る。図書館へ返却に行ったが、そうだ月曜日は休みだ。すぐ帰る。
漁協へ寄る。鑑札の不手際等について訊く。女史事務員氏が、懇切に語り説明する。二人とも、上手な解決を願った。
ちょうど、淡水魚試験場の若手職員研究者が来ていた。張り切っている。たのもしい。この意欲と実行が続くことを願う。
アユ・アマゴについて、近年はおかしい、と現場サイドで言っておいた。幹部職員氏たちが、現場サイドよりも、自分の点数のほうに関心が行ってしまっているようだと。あらゆるところでこの傾向があるようだ。現場に腐心するのではなく、自分の評価のほうに気持ちが行ってしまっている。亡国のきざしである。
アユ、アマゴについて、岩波新書等に、解りやすく書く人が現れないのかと。平易な言葉で語る専門家が現れないのかと、言いアジる。
夕方、カミさんと下呂病院へ行く。た鶴さんを見舞う。ここで、良助さんが入院していることを知り部屋へ行く。どうも、だいぶ弱っている。このいとことは、たまたま、去年の二月、入院時期が重なり、病室を行き来したものだった。今、こっちは元気になり、彼は再入院だ。別れぎわ、手を差し出したので、僕もおそるおそる出してそっと触れた。ひふのいろが、あおじろくなっていて、つらかった。
帰って、夕食までの間に、幸田文の『月の塵』を読む。また、講談社の『本』のなかの、朝日の早野透記者による、『管直人と「市民政治」の旅立ち』も読む。一気には読めないので、順に、少しずつ読む。幸田文については、体質が合う感じだ。またの機会に書く。管直人氏については、なるほどそうだったのかと了解。市民政治なるものについて、中曾根康弘氏の文が引用してあったのを、また引用する。
「市民というのは、反権力のイデオロギー的虚像だ。パリコンミューンの反逆の議論だね。そういう抵抗的なもので今の日本を律していいのか。管君は東京の山の手のインテリブルジョアの理論なんですよ。ちょっと格好はいいし、清潔で上品さを装っている。私たちは市民でなく、庶民なんです。魚屋さんとか洋服屋さんとか、商店街のおやじさんとか、バイトをやっている奥さんとか。政治は大きく包み込むものだ。反抗ではない。」
4月22日 水 通帳 掲示板
今朝は、寝ているところを電話で起こされる。農協の金融部。書き込みがいっぱいになったので通帳をあたらしくしたいと彼は言う。カミさんに告げに行く。すると、彼女はひどく狼狽した。この売上では、早晩行き詰まりなるだろうとは思っていたが、彼女の狼狽がこっちにうつって急に心臓が苦しくなる。売上増が見込めないので、前方は暗いのみ。前方の不安と、それを何とかする力がもうないので、ただひたすらアンウツになるのみ。
今日は、一日中暗かった。前方の光は期待できないので、破滅のみが立ち上がってくる。いやな気分を取っ払うためにも、鑑札配りに精を出した。あと数枚を残すのみだ。
こっちは、明るくなれない現状にいるのだが、訪れた先の人たち(年配者が多い)は、意外に明るかった。ほっとしたよ。厚生年金の受給者たちは元気がある。元気がないのは、我ら小売業者たち。
どういう終り方をするのかと、カミさんと話す。四方山話ではない。この年齢ではどうにもならない。悪いめぐり合わせだ。だが、この歳まで、頑張って張り切って生きてこれたのだから、それをよしとするほかない。
それにしても、今日の、自分より目上の応対者たちの生き生きしたありさまを思い出す。あそこに、日本のこれまでの成功の証がある。しかし今の自分たちは、負債と経費で敗者組だ。悟りから遠いもがきで苦しい。でも、確実に、成るように成っていくのみ。竹中に不平を言えるほどの元気はない。
掲示板を見てみた。合併関係。金山町、下呂町、小坂町、萩原町。馬瀬村。金山町と下呂町が活発。
総務課関係の、役場職員氏に面接して話しを聞くことを勧めるよ。課長、課長補佐級がいいだろう。複数の人にあたるのがいいだろう。確実なもの、徴候的なものがなければ、考えが不安定になり、実のあるものにならない。頭の中を整理させてくれるような話し手なら、最高だ。役場のほうもいよいよ煮詰まってきているので、ある程度以上の、あるいは思いがけない、情報を出してくるだろう。
4月24日 木 病気か? 選挙
ここ一週間ほど、体調が思わしくない。胸のあたりが、息苦しい。血圧は高めだが、こんなふうになるはずがない。度を越している。心因による乱れか。うつ状態と体が合作してこうなっているのか。以前にも、心配で緊張したときこうなったことはあったが、今回は、長く続きすぎる。胸のあたりの圧迫感と不安感が去らない。
二十三日は、それでも、久しぶりのにぎわしいお客の準備をした。五人。昼の三時まで、起きられずに寝てしまい、それから、買い物に行き、準備した。終了したあと、寝てしまった。騒がしい歌声などで、いったん目を覚ましたが、すぐうつらうつらしてしまった。
朝には、ちゃんと朝食の準備をしたあと、また寝てしまった。すると、しばらくして、カミさんがどやしてくる。例の攻撃開始だ。しばらくぶりだ。こっちが弱っておきられないことをいいことに、口撃を続ける。ガラリ戸を開けて、連射したあと、しばらく引っ込み、またやってくる。ここは、我慢するしかないが、胸のあたりが重苦しくて、お迎えのことを思う。カミさんも、疲れか何かで、言い出したら、いっぱいに言い切らないとおさまらない。あれだけガンガン言うということは、まだしも元気ということだ。よしとしなければならない。
あーあ、しかし、歳をとること、老年ということはつらいなあ。自分が自分で思うようにできない。二人ともがそうなる。増幅する。差し迫っているのは、心身を含めて事なのだ。事だから、現実に解決していかなければならないが、それができない。まだ、おまかせ心境からは遠い。何とか、現実打開を目指すので、苦しい。苦しいので、頭に悪影響が来、身体にも行く。
ここ数週間に、三人を病気見舞ったが、これがこたえる。それに、むろん不景気も。周囲が大変なので、もたれることはできない。しっかりしていなければと思うので負担になる。
変な事件にも暗くなってしまう。なんと頭がもろくなっていることか。新城の誘拐殺害事件、オームの松本裁判のこと、その事件の映像、中国の肺炎、イラクのその後。これら思わしくない事々が、非常にこたえる。やはり、ある種の病気なのだろうな。中日が、昨日今日と勝った。これは明るくさせてくれる。けれども、悪い負けのときは、逆に、非常にこたえてしまう。
カミさんとも感染しあうので、なかなかおさまるにおさまれない。増幅しないように気をつけるのみだ。
昨日、議長選挙関係で、二人の議員が訪れた。このときは、しゃきっとするから不思議だ。議長選挙についての自分の考えをきちんと喋る。現在と将来の議会のことなどを、その良き活動を、誤解の余地のないようにきちんと喋った。別に病気ではない。
けれども、一人になって、合併のことなどを思うと、その不愉快な成り行きに気持ちが沈む。
4月25日 金 エコー
九時、カミさんと下呂病院へ。超音波検診。彼女は、目の検査に。
九時半から、待つこと一時間強。エコー室前のいすが空いてなかったので、検査室前のいすで待つ。検査室の中が見える位置に座って待った。ひっきりなしに採血者が来る。老齢者が多い。みな、沈んだ表情をしている。けれども、やあやあと話す者たちは、とたんに生気づく。
老齢ということを、対岸のこと、あちらのこととしてではなく思い感ずる。そうなったのだ。で、ごく若い人が来ると、めずらしい。ちらちらと見てしまう。沈んでいて、横着い風ではないようすなので、好感が持てる。
検査室で元気なのは、若い看護婦さんたちだ。また、ここの受け付け嬢は、感じよくしようと努めている。そういうたちかもしれないが、僕は、そう努力しているとしたい。
男性検査員たちには、ここの仕事は、かったるいんじゃないかな。体のこなし方など、上のものほどぼんやりしている感じ。若い者たちは、言葉づかいにも努力していて、好感がもてた。気力を込めようと努めている感じだ。
担当ドクターがエコーを担当してくれた。安心する。付き合いが長いので、何か気持ちの交流がある。こっちが、重態ではなく、回復しているので、彼も、気持ちがらくだろう。結局悪い結果はなかった。ほっとする。元気になる感じ。
あれっ、腎臓は? ときいたので、すかさず、ありませんと返事した。彼はあっそうだった、と少し照れくさそうに言った。
終って、内科の待合室に行くと、カミさんと、コメヤさんの奥様が並んでいる。彼女は少し青ざめている。胃の検査だと。彼女も、近頃の僕と同じで、経営病の気がする。
カミさんは、三週間後と三ヵ月後を間違えていた。で、この日は診察なし。二人とも、病院通いで、行くことはいいのだが、マネーが気になる。さいわい、エコーは二千円ですんだのでありがたかった。病院でも、問題は、病気かマネーかであるよ。
4月26日 植樹祭 コウモリダコ クラオ族
いま夜の十一時。四美の植樹祭でくたくたになった。急なドカタをやったので、首が硬くなってしまった。起きようと気が焦るので、心身の体調悪くなり、不快気分につつまれる。その気分は、不安な鬱っぽい状態。きっと血流等が悪くなっているに違いない。
書きたいことがいっぱいある日だったが、体力が続かないので、書ききれない。残念。
十二時過ぎに四美の植樹祭会場へ向かう。十三時に開始。木曽川町からバス四台で生徒や関係者が来る。こちらからは、北中・南中の生徒たち、関係者たちが集まる。根越の植樹会場は、AからE会場までに分かれる。一番上のE会場があたった。作業中、目がくらくらして、こりゃやばいとおもったので、頑張るのをやめて、少し下へ降りて、ジュース置き場まで行く。でも、どうも、貧血気味になったので、倒れないように気をつける。
(下へ降りていくと、県関係者、議員たちがいる。通り過ぎるとき、県議が呼び止める。近づくと、すぐ、僕のほうまで苦しくなってしまいますよ、と彼は言った。ここ数日の脳病気味の我が悶え文を読んでいたのだ。あれっ、読んでいるんだな、とこの事にビックリした。それから、彼の感受性に対しても、なるほどと驚かなかった。ただし、彼がマイサイトを読むのは、まずは政治理由からであるので、彼の感受性にはとりあわなくて、すぐ、政治家風に、答えた。合併が苦しくて、ああなってしまうんですよ、と。この場面では、会話は続かない。お互いすぐ離れた。
直接に、あの文の事で言ってきた者は二人だ。もう一人は東京から。その者は、アユで長い付き合いなので、ほんとにこの身を案じてくれていた。子供さんが立派にやっておられるので、大丈夫と思いますが、と言ったので、まともに読んでいることがわかった。こっちも、まったくの作り話をしたわけではないので、ちょっと返答に困った。急ではないけれども、いずれどうにかしなくてはなりませんので、と言っておいた。まいっていることは事実なので。
二人の感性には、共通するものがあるかなあと思う。)
記念にツツジをもらって帰ったので、いいかげんな事になる前にと、すぐ庭に植樹する。
終ったあとリンテンさんへ。話しているとサワダ氏が来る。脳梗塞で身体不自由だが、かつての、釣り上手。今年も、夏中、この下でやるだろう。釣り談義をする。彼の話し振りは、さすがに、正確で力がこもっている。彼の場合、脳梗塞は、言語等には影響しなかった。
下呂へ行き、SDカードを買う。64MBにする。
体力が続かないので、植樹の写真は次の機会にアップ予定。
木曽川の生徒たちが、写真は新聞にでるかと聞いたので、ホームページにと答える。中に、詳しい者がいて、どのページかと聞いてくる。答えないでその場を離れる。
幸田文さんを少しずつ読んでいる。合う。感心する。文庫で二冊を、ネット注文する。
テレビで、アメリカ西海岸の、深海魚探索を見る。コウモリダコには、生命の神秘に感動する。これは、シーラカンスなみの、生き残った古代魚だ。
つぎに、ブラジルのクラオ族。女たちは、乳丸出しで出てくる。丸出しが自然なのだ。文明国の乳が、いかにもに演出して、たぶらかしとマネー目的だとわかる。
明けて、夜中の二時からは、神社へ。ミコシに付き添う。五時に交代。
4月28日 月 戦略・戦術?
カミさんの兄が死んだ。まだ大丈夫だと思っていたが、自然死を納得ずくだったので、早かった。ここ数日は、久しぶりに二グループお客が入っていたが、できないので、ほかを紹介して了解してもらう。「不幸」の場合、お客のほうも何も言えなくて下がるしかない。双方残念だった。
こないだのお見舞いが引き金になって、急にこっちも調子が悪くなる。空中を漂っているような日々が続いていて不安で気持ちが悪い。
話題転換。
合併のこと。
ここ数日金山町と下呂町の掲示板を読んでいる。残念だが、僕には、諸氏の主張がよくわからない。
このごろになって気づいたことは、戦略・戦術ということ。下呂町の混乱の因を以下によるとみた。下呂町議会では、初めから、合併を戦略戦術として進めてきた。戦略戦術はいいけれども、その内容が、経済団体の意向に傾きすぎていた。合併は経済団体のためのものではないこと当然である。五町村住民全体のものである。経済団体の戦略戦術が出てしまっているので、情報は片寄ってしまう。経済団体の利益本位になる。
企業は、自分本位のものであること、自分自身の事業から、十二分に理解できる。しかし、政治は、そういうものではない。政治は全体的なものである。もし政治が、特定の利益に強硬に荷担するとすれば、この共同体は、破綻する。
特定の利益に荷担していることがわかれば、その圏外にいる者は怒る。
下呂町は、周辺部が広い。街区だけから成っているわけではない。にもかかわらず、街区の自分本位の戦略戦術が出てしまっていたことが、混乱の因をなした。と思う。情報が一方的になりやすいし、情報操作すら当然とされるだろう。
初心とか平明、ということに戻って、冷静に新市全体を展望すれば、自ずから将来の道筋が見えてくるだろう。
5月2日 金 岐阜へ 幸田文
二十八日、午後にカミさんは岐阜へ。通夜は明日だが、彼女は兄と妹の二人だけなので、早速でかけた。自分は、二十九日に出発する。
二十九日の日記は、このでかい家に一人居て書いた。一人では、心細い。カミさんのありがたみはわかる。日本男子としては、まことに恥ずかしげな感慨であるが。
岐阜で、ようやく家のあたりにつく。電話で斎場を訊く。家探しも、電話もごつごつしていて、情けない。へまっぽい。ようやく野々村葬儀社へ。ここへは、二年前、平成十三年一月七日に、STの葬儀に来た。会場は二階だった。来て判ったことだが、ここには、会場が三つあり、二階はいちばんこじんまりしている。今回は、一階。近くの火葬場の記憶がいちばん苦しい。ここで、STの顔を見ることになって辛かった。
普通は、ここへは、近い親族の者がくることになっており、あの時は、大学の友人関係のものが、十人ちかくいたかと思う。親族は非常に少なかった。
あの時は、まだ、死ぬということが珍しかったが、今回は、親族であり、通夜までしたので、しかも、彼と同じに五十七歳だったので、ようやく、死をしっかり実感させられた。あの時は、ここへそそくさと来て、そそくさと立ち去った。今回は、ごく近い親族として三人が最前列に座ったので、まともであった。逃げも隠れもできなかった。小手先はきかなかった。
六畳の控え室が二つふすまで仕切られてある。遺体は、ここへ移され、棺とともに、親族が通夜をする。した者は、私たち夫婦と、未亡人となった者と、その子供たち三人。計六人。自分は、となりの部屋にふすまを閉めて居た。一人部屋に居る時間が長いとは感じなかった。睡眠は、断続して、二時間ほどもとったかと思う。この時間が、長いと思わなかったいちばんの理由は、カバンに忍ばせた、幸田文さんの随筆集『月の塵』を断続して読んでいたからだ。これが、非常に楽しかった。いい読書だった。まるで期待していなかった。彼女の感覚と合うことのうれしさ。
彼女は十代から葬儀には活躍を続けた。葬儀が世間との正式対面だったよう。以後、いくつもいくつも葬儀に列席し、また裏方をやり重宝がられた。で、いま、葬儀葬儀で重なるのだが、文面が明るくて楽しい。
幸田文という人は、父露伴から、学問も芸術も不向きと刻印され、ならば、普通に主婦として生きるようにと、役立つようにと、家事のこと一切を直接に指導された。彼女は、それによく応えた。そのときに、文には、男の感覚がストレートに入った。ぴしぴしとはいった。そして、体ことで、父露伴に応えた。それが、結果として、非常にユニークな文章家を育てていたのであった。彼女は、ほんとに、読書などは、まずしていなかったろう。そうした趣味人の様子感覚は彼女にはない。
彼女の文は、頭から出てくるものではない。めずらしい。彼女の文は、彼女の体から出てきている。これが、ユニーク。批判的にユニークだ。父露伴の中に、頭の文化に対する、批判があって、それが、娘にじかに伝わった。幸田文の文は、父露伴との合作である。
亡者のおかげで、こじんまりと快適な部屋で、心をしめやかにして過ごすことができて、感謝。頭の病もどっかへちょっと引っ越したよう。
三十日、十二時より開始。式が長くて、また、和尚の説教付で、眠くてまいった。みなに見られて、かしこまって座っているのがなかなか大変である。
亡者は、強引なところのない、他人の毒を受け持つタイプの、律義者である。よって、長生きはできそうにないタイプだ。でも、人からは、信頼され愛されていた。よって、この葬儀には、怨念は、本人の無念さのほかにはなかった。だから、気持ちよく、通夜をしながら、幸田文を読めたのである。ここでこんなことをしている僕に対して、亡者(辞書を見たら、この言葉はない。亡き人とか故人。)は、僕のことを、うらやましいよ、と言っているような気がする。
四時過ぎに、みなで解散。萩原へ。途中眠くなったので、車中仮眠、十五分。
次の日は、南飛騨と、総文教委員会。暑さと疲れで、体を維持しているのがやっとだった。夜は、六人のお客の準備。
で、今日は一日中寝る。まだしっかりしないままに、書き始めたのだが、はじめると、しっかりしてくるから不思議だ。
ガソリンを入れたとき、岐阜までどのくらい食ったかを見てみると、十リッターだった。つまり、二百キロを、十リッターで走った。リッターあたり二十キロ。これはすごい。
5月5日 月 コンチクショウ
この連休には、義兄の葬儀がはいったが、いちばんの衝撃は、連休の飛び込み客が一人もなかったことだ。開業以来初めてだ。去年でも、ほぼいっぱいになった。これは、我が旅館が、はるかに落ち目になったからであろうか。カミさんが、電話していろいろ聞いていたが、下呂でも、高山ですら、客が少なかった。下呂の関係者たちは、僕以上に青くなっていたようすだ。これほどの落ち込みとは思わなかったと。
次は、脳弱体弱だ。不景気とともに進行する、進行性の病だ。
長男家族が三人で来た。一人、とびきり元気だったのは、二歳になる孫。ただ無邪気に楽しく平和である。長男と、自分は、選手交代の境目にきている。そう自覚させられた。その引き金は、自分の衰えだ。
四人で、軽に乗ってお墓にいく。雑草をとる。ごみ焼き場が閉鎖になっているので、家まで持ち帰った。ここでも暮らしが狭苦しくなってくる感じ。規制緩和の逆。景気からなにから、狭く閉じ込めてくる。いやな世の中、世間、娑婆、社会。
カミさんは、昨日から店を開いている。常連さんが来ていたようだ。
明日のことを考えると、不安になりストレスとなり、血圧が上がってくるが、どうしようもない。体力もどうしようもない。体力勝負でここまで生きてきたので、それが衰えてはどうしようもない。ナミアムダブだ。
先日の葬儀の写真を見ても、元気なのは女たちで、男たちは、浮かぬ表情だ。お祭り日本が去って、虚脱している。うろうろしている。元気なテレビ画面がしゃくにさわる。こっちは生殺しにあっている。往生際に迷っている。生きるにも死ぬにも不安定で、こういうものを戦後民主主義がつくった。くそっ、シャカイトウの馬鹿ものどもめ。言葉浮かれのアホウどもめが。
幸田文さんを読んでいるが、その根太さには脱帽だ。社会批判はしていない。批評はしていない。けれども、生活作文として、そのままで、こちらをえぐってくる。
話は飛ぶが、先日、ふと、『風とともに去りぬ』持ち出してきて冒頭部分に目を通してみた。ずっと前まだ馬力があったころ、ヒマにまかせ詰碁に向かうようにして、原文に挑戦したことがあった。半分までいったか。それを、同じ女流の傑作として比較してみた。気づいたことは、前者には、日本の文化伝統が、後者には、アメリカの文化伝統が息づいているということ。
前方が広々として、前進前進の文化。どんどん進めの文化だ。それを、忠実な弟子たる日本はやった。真似た。そうして今がある。
歴史の批判者にして、よき文化伝統を創るはずだったシャカイトウが、こけてしまったとは。日本のぶざまのすべてはそこにある。コンチクショウめ。
5月6日 火 朔太郎 こりない敗戦
ヒマだ。そのため、体がまぎれないので、中空にある感じ。頭のほうも、体につられて、ぼんやりしている。鬱っぽく不安。午後に起き出して、リンテンさんと話す。話題は白装束の一団。昨日、清見から馬瀬、萩原を通って長野方面へいった。役場の職員には動員がかかった。白装束なので気味悪がられる。
図書館へ行く。幸田文の入った小学館の昭和文学全集を返す。ついでに、露伴のはいっているのを探してひろい読む。九人が入っているので、机に座って読み調べ始める。つい気をとられて、閉館を忘れたので、注意され、五時十分にあわてて出る。
鑑札配りがようやく終了する。最後の人は、こっちも向うもなんども連絡が合わなくておそくなった。夜八時半、会計氏のところへ行ったが、不在。明日までには入金事務等を終えよう。
歌の練習会が終って、カミさんが言うには、ここも、元気が出なくて、声に威勢がなかったと。先生からが、張り切れなかったと。
九人は、柳田國男、折口信夫、萩原朔太郎、宮澤賢治、高村光太郎、斎藤茂吉、高浜虚子、久保田万太郎、幸田露伴。
そのうちで眼に止まって、引き込まれたのは、萩原朔太郎の評論。
幸田文と朔太郎では、まるっきり正反対に見えるが、違う。生活を日本を下から見ようとしているところが共通している。そこに立っての反時代性。朔太郎は、生活には縁のない人に見えるが、評論を読んでみて、違うと解った。「漂泊者の文学」(永井荷風氏のボクトウキダンを読む)、「日本への回帰」(我が独り歌えるうた)。ともに昭和十二年の作。
幸田文の文と朔太郎の文は読めたが、ほかはだめだろう。
二人の感覚が自分と合うということからして、自分のことを考えさせられた。なるほど自分はそういう傾向の者として今あるんだなと。
上記二文のテーマは、維新以来の時代の動きに対する、体ごとの懐疑である。時は、いよいよ、戦争一直線に向かっている。あの時点での、一応の、西欧化の成功が、結果として軍産官による戦争邁進日本。彼は、その日本を、国を挙げての西欧化へのユガミの露呈としてとらえている。そのユガミが、そのまま、萩原朔太郎という詩人に凝縮されてあるのだと。彼は、そう認識している。その根無し草、惑乱からの脱出方向として、江戸期までの日本を視野に入れる。二千年来の日本として。日本再興の方向として。
この時点では、敗戦はわかっていないが、朔太郎のこれらの文は、すでに予見しているがごときである。
さて、問題は、敗戦後において、朔太郎の抱いた方向に、日本は向かっていったか。結果としてノーである。なんと二度目の敗戦である。あの時は、軍の敗北であるが、こんどは経済の敗北。ともに、我を忘れて、いい気になってしまったところが共通している。今回のほうが、西欧ボケ、アメリカボケ、経済ボケ、そして慢心、の程度がひどかった。自分たちは、合理的であると自信を持っていたがゆえに罪は重い。
この罪の第一番目の責任は誰にあるか。昨日も書いたように、シャカイトウであり、進歩的文化人であり、マスコミであり、その他諸々の知識情報関係者たちである。この者たちは、言葉に浮かれ、正義に浮かれてしまった。金にも浮かれてしまった、正義面をしたゾクである。
5月7日 水 産業振興氏 合併
今日は、朝からせわしなくも充実した一日だった。まず朝一番に、かなづちの賑わいに目を覚まさせられる。義兄のうちのプラスチック屋根の修理、張替えの音。うちの物置屋根も、老朽で雨漏りがするので、修理を頼んでおいた。収入が心細いので、出費は非常に心細いが、この場合はそんなことは言っておれない。今後、修理がかさむだろうが、ええい、そのときはそのときだわい。計算がたたない。
店に、めずらしく、支部長が来る。アユ等の話しをする。彼も、素直に老いを出すようになっている。で、こっちがバックアップしなければならない位置にいることがわかる。来年の、役員構成をどうしていくか。まだ、直接には話がなかったが、そこまで来ていることははっきりしている。よき構成を置き土産にしたい。
つぎに、議員が来る。合併のことなどを話す。様子待ちだ。
入れ替わりに、県事務所の産業振興氏が来る。四月赴任で、いろいろ町の中の声を聞いて回っているようだ。さすがに、見聞が広くて、頭を開いてくれた。中国の経済等の話が中心。中国や北朝鮮について、その実情がマスコミに載らないことを、彼は指摘していた。中国の実情は、突然明るみに出された北朝鮮ほどではないが、それに近いそうだ。今の肺炎騒ぎについても、実情は、はるかに悪いだろうと。
僕が、中国は、やがて大国になるだろうと言ったら、言下に否定した。それは現実ではない。とても、日本などの先進国には追いつけないと。人々の生活基盤が混乱し弱くて、しっかりした産業基盤からは遠いと。また、中国の様子についても、知らない知識知識を与えてくれた。新聞等では、中国の現状報道がなされていないと。圧力によってできないのだと。
彼は、益田、萩原の産業について話す。萩原の場合、まず家の建築だと。産業起こしについては、この他には続かなかった。土建については、彼は何も語らなかった。ここは、下呂ではないので、観光についても、長くは語らなかった。たとえ下呂だとしても、現状では、力強く語り合えないのだろう。
彼は、全般に短期戦略が視野のうちにあった。彼の役割は、実践的でなければならないということなのだろう。実践を離れては意味をなさないが、長期的視野が重要であること当然である。自分としては、長期視野の中の短期視野でなければならない。今こそ大切なのは、長期視野である。このことは彼も大いに承知しているに違いないが、日本の現状は、将来への哲学思想展望が現れ出てこないことだ。現在の日本をつくってきた戦後民主主義と経済成長ではどうにもならないところへ来ているが、その新しい思想が出てこない。生みの苦しみの最中としておこう。左翼も文化人もマスコミも、生活向上していけばそれでよしとしてきたが、安易はもう通用しない。我々は切に、展望思想哲学を待っている。
午後から、雨の中、上原へ行き、合併についてきく。議員になって初めての会見だ。話のうちでいちばんの印象は、下呂農協と南益田農協の独立成立のことだった。当然の統一成立が、下呂農協の拒否によって成らなかった。ここに、街の顔が出ていると思わさせられた。今回の合併についても、同じ顔が出ている。
今度の合併は、前のとは大きく違う。町村の規模が違う。将来をしっかり見すえてかからなければならない。住民本意にしなければならない。経済本位、力任せでは、よき新市は望めない。下呂の街の周辺は、前回よりもはるかに広い。それぞれの周辺は、はるかに広く深い伝統文化を背負っている。
5月8日 木 離婚 (罪と罰 ツアラトストラはこう言った 幸田文)
寒い日。風の強い日。昨日とは打って変わって、一日中浮かぬ感じですごす。力が入らなくて、浮かぬ自分とまともに面と向かって過ごす。不安。カミさんも浮かぬ感じで、同病のよう。彼女は、この部屋に来て居つづけることはここ数年ないことだったが。彼女の兄の死から、なにごとかが起きているようだ。その現われである。
昨日のいとことの会話では、あと二つのことが印象に残った。一つは、不景気が、ついに、田舎にまで浸透してきた、ということ。もう一つは、離婚が多いこと。そこいらじゅうで離婚やらが起きている。そこいらじゅうで、女の子の飛び跳ねが起きている。外国等へ行ってしまいたがるのも、すんなり離婚してしまうのも、根は同じだろう。我意を通すということ。世の中のありようから言えば、このことは予想されることであったが、我々としては、予想できないことだった。うろたえているのみ。不景気も合わせ、新事態の到来に、うろうろして浮かぬ毎日が続く。
このあたりの生き方をも模索するのが、政治の役割である。目に見える経済ばかりを追ってこれでよしとしていては、問題の根本はほかりっぱなしである。経済の向上に我々を駆り立てたのなら、その後始末としての生き方にも、方向づけするのも役割である。その辺は、政治の関与するところではないとしている。「世間」の自動治癒修正作用に任せている。
世間世の中社会自分のこととなると、とてもこんがらがって方向が見つかるどころではないので、ブンガク話を三つ。
例の斎藤孝君の、『三色ボールペンで読む日本語』を、ちょいと棚から下ろして、慰めはないかと読んでみる。(親しみをこめてああ呼びたいし、幸田文の場合はさん付けで呼びたい。)
すると、発見があった。題材として、抜粋してあった『罪と罰』、『ツアラトストラはこう言った』に対して。
ニーチェの、ツアラトストラについては聞いて知っていたが、じっくり読んだことはない。何のことが書いてあるのかわからないので、お手上げ放棄だった。こんどは発見した。ここには、永遠がなんどもなんどもつかわれている。永遠は、主要なテーマである。我々日本人には、永遠、は解りにくい。親しみにくい。そういう文化圏である。
しかし、ニーチェには、永遠がテーマであった。ヨーロッパ文化では、キリスト教によって、永遠、は日常となっている。永遠の命というテーマ。この我々には縁がなくて理解の及ばないことが、あの本のテーマとなっているから、チンプンカンプンなのだ。
『罪と罰』も、問題の根は同じである。日常と伝統をつくってきたキリスト教社会の揺らぎであり、それに対する懐疑の進行。永遠の命という観念の元に、社会の全倫理がつくられている。その土台が揺らぎ、特に頭の中を生きるインテリたちは、烈しい疑いのゆえに、不安動揺を生きさせられるようになった。
不安動揺からの、永遠からの墜落――虚無、からの脱出と再生への方向づけがあの本のテーマであった。あの本は、小説とも詩ともわからぬような、狂熱の独白と宣言がのたうつように書き連ねられている。すでに疑われてしまっているキリスト教を介さなくして、永遠の生命と充実を、彼の内部において打ち立てようとし、立てれたとして、人々に呼びかけている。書かれていることは内面の劇なのである。
『罪と罰』は、主人公ラスコーリニコフが、倫理から見捨てられて、殺人の論理に従って老婆を殺したあと、倫理がよみがえってきて悩み苦しむ物語。こちらのテーマは倫理だ。キリスト教社会の揺らぎの結果としての、倫理の動揺がテーマだ。ツアラトストラの方は、永遠を失って墜落した虚無からの、必死の再生がテーマ。
両者の背後には、産業社会の勃興による、長いキリスト教社会伝統の墜落動揺がある。
そして、このごろずっと感心して親しんでいる幸田文さん。この人は、めずらしくも、西洋文化、西洋言葉に毒されていない。日本古来の文化そのものである。そのものであることが、そのまま反時代的となっている。意図したわけではないが、そうなってしまっている。そのことと、語り口の魅力があいまって彼女の文章世界がつくられている。僕には、あの世界があることなどとうてい予想できないことであった。
彼女の文章出発は、昭和二十二年(1947)、四十三歳。この歳で、戦後の開放社会を生きていった。それが絶妙に作用した。戦前戦中に毒されていない。生活者としての、開放と自由充実がいっぱいにつまっている。生活者として、開放自由充実を実現して行っているので、ニーチェやドストエフスキーの、虚無や永遠や倫理や内面の劇とは縁がない。戦後日本の、重要達成の一つである。
5月9日 金 新議会 白装束 八方ふさがり
寒い。また冬のジャンパーを出して着ている。
一日中新議会。議長選出等、委員会等の構成を終える。
議長選には、三人が立候補し、投票の結果今井さんが選ばれた。副議長は立候補者が中野さん一人で、そのまま決まった。委員会構成等については、数日中に発行される議会報に載る。
帰ったのが三時過ぎだった。リンテンさんのところへ行き世間話。いちばんの話題は、白装束。わけがわからなくて気味が悪い。信仰・宗教というもの、その集団の中ばかりで会話していると、その話されていることが真実になってしまう。別の集団では、自分の考えが通らないので、またこの集団に依存してしまう。
次の話題は、女性たちの、離婚や出戻りや、について。多すぎる。若い女たちの、自己主張行動に振り回されてしまう。女たちの不安定は、日本の危機を示しているのではないか。まあしかし、我々戦後世代からすでにおかしいのだから、彼女たちが続々生まれ出ても不思議ではない。この事態を、新しい時代への生みの苦しみだとしておこう。そうして、希望を持つことにしておこう。事態すべてが八方ふさがりで、明日を生きる気がしてこないので。